いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

記念日

 今日は記念日である。死んでも一緒にいるぜ。

 

 記念日であるにもかかわらず、会社ではハードなワークを繰り返し、ボケーとしていた。なぜか語学力が試される1日だった。予想外だ。でもこんな風に「できるよね」と言われて「できないかも」と思いながら挑戦する方がいい。

 

 あまりにもボケーとしてしまったので、褒められたのに「そうですか」と返してしまった。これはまずい。「ありがとうございます」だろう、お前、と思った。こんな後輩がいたら普通怒るよなあ。

 

 千円カットに行って、髪を5、6センチ切った。税込1080円だった。私の髪は我ながら根元の方に近づくにつれ綺麗だと思った。惜しみなく髪を切る女性だった。自分の邪念を振り切るかのように、ハサミを動かし、眉間にしわを寄せた女性は私の髪を切った。私は色々と考えることがあった。私は疑いもなく「また髪が生える」と思っていたのだろうか。私は毎日トマトを見ている。トマトはすごい速さで私の腰骨まで伸びてきた。彼らは私よりもずっと速いスピードで細胞分裂しているようだが、私よりもずっと早く細胞分裂できなくなるのだ。それはある日髪が伸びなくなるような体験だろうか。髪がいつまでも伸びるなんて、愚かな確信だと思った。

 

 そう思った時、自分の髪は本当に綺麗だと思った。細胞分裂の象徴のように、照明の光で輝いていた。女性は私の会社の工場で働く女性の知り合いだと思われるが、私はそのことを口にしなかった。ただ切り始めの時「あーすっきりする。この時のために伸ばしているんですよ。」と言った。

 

 歳をとったら病気になって死ぬのだ。それが細胞分裂しなくなるということなんだ。だけど大金持ちになって、鎌倉に家を構え、七里ヶ浜へ旦那と散歩に行きたい。前者がわかっているのに後者を望み続けることができることが不思議。それは愛していることが結末をくらませているのかも。夢が損なわれたとしても、旦那のことは死ぬまでも死んでからも、微塵の例外もなく守って行きたい。

 

 父の日がくるからスーパーで「お父さん、いつもありがとう」と言う掛け声が流れている。掛け声?ではないかも。私はそれを聞いて、「お父さん、死んでからありがとう」となんとなく思っていた。

 

 本を購入した。

 

海外出張/カタログ・ウェブサイト/展示会で 売れる英語

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今週のお題「あの人へラブレター」