いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

工場とオフィス

 製造業にとって工場は心臓みたいなものだっす。店舗を失おうと、広告が打てなくなろうと、心臓があれば再起できるっすよ。工場の命は人だっす。機械があっても人が満足して働けなければ、事業全体がぶち壊されてしまう。人の要は声だっす。人がいても言葉を自由に話せなければいつか機械も壊れてしまい、事故も起き続けるんだす。

 

 人間らしさという言葉を考えて、尊厳とか人権とか、それ以前に、人間らしさというのは「自分は人間だ」「人間として扱われている」そう思える状態のことなんじゃないかな。うまく言えないけどそうだと思う。道徳とか規則とか、法の精神とか、根本的に目の前に現れるすべての人間が「自分は人間だ」「人間として扱われている」と思えるようにするためにあるんだろう。

 

 私はこの仕事に人生かけてるんだというか、少なくともこの仕事で身を立てていこうと思ってて、一旗揚げてやるというよりは、この仕事を通していろんなことをもっと深くわかろうと思っている。

 

 自分も工場研修をしたんだけど、オフィスで働いているともっと工場に行きたいと切実に思う。工場で働いている人と一体感を持ち、言葉を話さないとなあと。改めて会社という制度に戦慄する。こんなに多くの人の生活を支えているんだと。そしてあなたの生活を構成しているその道具たちも、多くは製造業が生産したものなのだ。一つ一つはなくても人を殺しはしないものだが、人間はほっとけばそれらのものを購入するようになっている。豊かさを求めて?

 

 それにしても、人間が良くなっていくためには、自由に言葉を話せることが何より大切だと思う。コミュニケーションスキルってそういうことでしょう。そうやって何かあった時も人類は解決策や気づきを共有してきたのでしょう。

 

 しがらみとか意地とかで利益を逃したり損きりできなかったりするシチュエーションの話を聞くと、そんなんどうでもいいから利益のためにやり切れよと思う。その逃した利益なり損切りなりで、設備投資ができたんだよ。俺たちは利益を追い求めるために会社の形を選択したんだ。違うんかなあ。

 

もう旦那に会いたいよー。