いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

何にも自分のものにならない

いくら仕事に打ち込んでも、何も自分のものにならないような仕事をしてる瞬間はある。でもそう言う瞬間がかなりある人に向かって「そんなことをしても何も自分のためにならないんだから、やめなよ」と言ってもあんま意味ないのではないかと思った。何も自分のものにならない仕事に死ぬほど夢中に打ち込むことが、自分のために働く人たちや、それをよしとする風潮への反逆として十分楽しい。

 

それから、組織として利益を追求することは、自分一人ではできないことだから、たとえ自分がそれで損してるとしても、大きなゲーム中で遊べるみたいで、単純に楽しい。ゲームのルールを守ることはそれだけで快楽を感じる。

 

それから、自分のものにならないことのために打ち込んだとき、そういう日々が続くとき、かえって自分自身、自分のためとか意識高い目的に埋め尽くされていない、ほんとにピュアで呆けた土くれみたいな自分を見ることができる。そもそも中毒性があると思った。

 

かっこいいとされるワーカーも、実はこんな感じの自堕落な満足感に侵されてるのかもなと思った。私は一体どうなるんやろな。