いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

これってわたしに何か求めてんの

 今日は高尾山に登ってきた。そのあと家に帰ると母から連絡があって食事に行くため再び家を出た。母は相談したいことがあったようで、それは弟のことだった。

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 弟が自分のことを精神病じゃないかと言い出したらしく、母はそのことで悩んでいるそうだ。私は思わず嫌な気持ちになった。思わず○○な気分になった、って変な表現だね。実際思ってるわけだもん。

 

 弟が精神病かもしれないと言っている。

 家族に対して暴力を振るうことも、いつも実家に帰って来ては自分以外の人が住んでいる家のものを勝手に捨てたり持ち出したりし、人を平気で切り捨てるような発言をすることも、いつも人の邪魔立てをすることも、人の面子を平気で潰すことも、人の持っているものの中で一番高価なものを持ち出して勝手に売却して私服を肥やすことも、全部その精神病の名前でチャラにしようというのか?そう思った。それくらいのこと誰だって悩んでるが、それでも人を傷つけないようにとみんな気をつけて生きてるんだよ。

 

 こう思ってしまってから、「精神病は甘え!」みたいなことを言っている人の気持ちがよくわかった。ほとほと嫌な気持ちにさせられて来たんだ。そいつが本当に嫌いで疲れ切っているんだ。関わりたくないし、まだ病気を盾にへばりついて視界に善良な人デスみたいな顔でまた立ち現れようとするのが本当に嫌なんだ。病気です、だとふざけるな。なるほどこういう気持ちだなとよくわかった。

 

 そして寛容と思っていた自分にも切り捨てたくてたまらない奴がいるということもわかってしまった。かつてはそれが父であり、生きている限りは敵であるというような存在。

 

 かつて殴っていた相手である母に向かって、「俺は病気」と言ってくるのがまず気がおかしいのではないかと思う。だから許せと言っているようなものだ。せめて一人で誰か他の人間に相談し、自分のこととして自分でカタをつけなよと思ってしまった。

 

 それって強盗するために人の頭蓋骨を陥没させておいて、5年後に戻って来てあの時大変金が必要だったんだ、こういう理由で云々、と説明するようなものではないか。クソなのかと思う。だから許してくれとかいう、何かドラマを生み出さなければ生きていけないようなその粘着している暗黙の懇願みたいなのが、何が御涙頂戴だよ、本当寝てろ、って思ってしまう。

 

 とびきり高度なテクニックを使って舞い戻って、自分自身について反省することもなく謝罪されたような気分。私はお前なんか大嫌いだということは微塵も変わらないこの世界で、私の寛容や精神だけが試されるようなシチュエーションを作りやがって最悪だよ本当。精神病は精神病でいいから、自分についてちょっと考えてみろよと言ったところで、本人はそれができない病気だというんだから仕方ない。

 

 私はそれならもう弟の話をすることもやめよう。何を言ったところで、それは病気だから仕方ないと返されるのなら、じゃあ彼は精神病患者だね、精神病患者としての行動を繰り返してるねと言うしかない。でもそれは言う価値もない言葉で、そんなことを言うのは言う方の頭がおかしい。

 

 そうだね、お父さんは精神病患者だから人を殴ってるね、精神病患者だから薬をウイスキーで飲んでるね、精神病患者によくある行動として、仕事で人間関係がうまくいかないね、精神病患者だから自分で家具とか食器を破壊しておいて、でも次の日にはそのことも忘れてるね、でも精神病だから仕方ない、と言うのが正しかったのだろうか?私は父についてそう言わなかった。そして今ではそうしなかったことがよかったと思っているし、あの当時そんな態度を持つことは無理だった。であるし、今でもそんなことは言う気もない。

 

 そもそも精神病か否かなど、関係なく、この世界で人と関わりながら生きていくなら、自分について考えることからは逃れられない。正直自分が何を言ってるのかわからないである。

 

 私が弟に対してこう思ってしまったと言うことは、いつ何時他人に対してもこんな風に感じてしまいかねないと言うことであろう。そうなれば私も「精神病は甘え!」と言う人間の一員になってしまうのであろうか。しかしちなみに私も現代社会の枠組みでいると精神障害である。私は何が受け入れられないのであろうか。精神病自体が受け入れられないわけはあるまい。ありえないことだ。精神病を通して許されたいと思われることが許せないのであろうか。そうではないと思う。なら暴力自体が許せないのであろうか。暴力を振るって人を萎縮させたことを精神病の名を通して許されたいと望まれることが許せないのか。そうではないはずだし、別の人からされたなら許せたはずだ。

 

 つまりこれは弟だからと言うことなのだろうか。それとももしかして、弟に暴力を振るわれておきなら、精神病かもと相談されて、相談される存在である自分自身を喜んでいる母に対する嫌な気持ちなのだろうか。母は父の時もそうだった。子供はいつもその甘やかな感情の遊びの付録であった。それは青春の延長であった。かくして青春なぞには近づかぬようにしようと思った。引き付け合うことの証明を、他人を巻き込んで意に介さず何度もやっていた。わたしの繊維はヘニョヘニョになった。

 

 こんな記事は、書くべきだったのか?人に嫌な気持ちをさせてしまうかもしれないのに。しかしこれ自体金字塔には不可欠な一日の記録だった。 家族と相性が悪いと言う一言で済ますこともできる。でも家族だからこそ、一番ひどい気持ちまで掘り下げて考える羽目になる。と言うかまずは今めちゃ気分が微妙。と言うかこんな記事を書いてしまい申し訳ない。しかし瞬時に嫌悪が漲ってしまった。

 

 ちなみに食事はめちゃ美味しかったしなんか奮発してた。はあ。