いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

社会人になる前にやること

それは

この大学からの卒業......っ

 

辛い時期に入って来たぜ

 

百度53/100

 

試験が近づくと私は辛くなる。

というのは試験が近づくまで勉強していないからというわけでは、ない。基本的にはそうではない。

 

試験が近づく前から基本的に勉強はしているのだ。ただ過去問とかといてると、「何を考えて読んだらここの部分に重点置いて読む気分になるのだ?この部分で大切なのはここじゃなくてあそこっていう文脈じゃないか」と思って、変だなーという感じで、教科書読んで勉強したりしている。

 

 だんだん私が「ここが大事」と思うところはあまり試験では問われないということがわかって、「文脈」とかいう自分の感覚は捨てよう、というようになって来る。「全部本気で読もう」と。

 

しかし全部読みつつも自分が重点を置いてると感じてしまう部分に強弱の強をつけて読んでしまうのは人間の習性とも言えることなので、自然重点をトンチンカンなところに置いて読んでしまっている。それに気づいて何回も読み直すのだが、だんだん疲れてしまい、しかも自分が台座だと思ってないところばかり狙いすまして来る過去問には少し落ち込む。試験が近づいても相変わらずだから、うえーどうしよう、となる。ノートもまとめてるけど違うとこばかりピックアップしてるし。

 

 それが私にとっての「辛い時期」である。焦りと肉体的疲労が同時に来る。

 

 私には多分読字障害もあるのだが、それ以上にこのトンチンカンな読み方が問題だと思う。いや本当のところどこがトンチンカンなのか私にはわからないのだ。今でも本当に聞くべきなのは私が大切だと思ってるところじゃないのか、と思っている。

 

 いや試験というのは、一番大切なところを聞くとは限らず、むしろ細かなところを聞いて理解を試すべきとも思えるので必ずしも私の考えがトンチンカンではないのかもしれないが。

 

一体自分の脳みそがどう働いているのか大変よくわかんない。これが私がいう「私本読めませんから」の内容。まあなんとかやって行くしかありませんね。

 

 とりあえず卒業できれば内定先では満員電車に乗る必要はないので本当に嬉しい。

 

 あと失敗したと言わないと嘘になる感じのチョコレートも旦那は喜んで食べてくれて本当にありがたかった。頑張れる。来年はもっとレベルアップしたチョコ作るからね。お互い元気でいたいねと話した。

 

 猫にあったけど気づかないふりされた。たくさん本をダンボールに詰めた。二束三文で売るー。

 

 カメラとギターを打ったのが予想外にうまく行って、6000円近く入った。よかった。 

 

 旦那のお母さんと、引っ越して最初に買うべき家電は何かという話になって、冷蔵庫が良かろうと言われた。なるほど。私は炊飯器を買おうとしていたのだが、よく考えたら冷蔵庫だなぁ。

 

 自分の母と文旦をたべた。卒業できることになったら報告します。今の自分は春から何をしてるかわからない。だけど春から何をするかに気を配ることもできない。今のことを気にしなければならない。私がいなくなったら母がどうするかを考える余裕もない。またそれを話し合うような人でもない。ただ過ぎ行くに任せて、頭の血管を血が流れている。おざなりになりたくない。

 

 私はすごく前向きなほうである。苦しいことでも、終わったら苦しかったことも忘れる。できるかできないかわからない時は、内心では必ずできると信じることができる。私に直接あった人ならわかるけれども、五分五分の時にはいつもうまく行ったときのことを前提に話している。今はどうやらごぶごぶよりはるかにまずい状態だが、それでもうまく行くと思う。

 

 そんなひとでもやはりこのくらいには辛いし落ち込むので仕方ない。まあ正直なところどちらにしろ生きて行くんだから。こんな時にばかり友達が会おうと声をかけてくれて、なかなか難しい。