いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

テンションがおかしくなるわけ

 私もバレンタインのチョコレートを作って見たのだが、見事に失敗した。

 トリュフチョコレートの、ホワイトチョコでコーティングしたものを作ろうと思っていたのだ。中はねっとりしており、外はつやつや、そんなイメージであった。もちろん不器用ですので失敗することはわかっていたのだが、今回ばかりは度が過ぎた。

 

 まず材料を買うところはうまくいった。ところが材料を買い終えた私は「準備は終わったからあとは溶かして混ぜればいい!」と言うメンタリティーになってしまった。そして全部混ぜた。普通ここで分量はかるだろうと思うのだが、計らなかった。子供の頃は割にこういうことができる子供だったような気がするのだが。

 

 その結果生クリームが多過ぎて固まらなかった。のでそれはチョコレートジャムにして明日私が食べるということにした。そして予備に買っておいた材料をちゃんとはかり、もう一度作り始めた。まずトリュフ部分を作る。そして固める。そのあとホワイトチョコをかける。しかしまたしても問題が起きた。私はトリュフチョコにあまり甘くなって欲しくないと思うがために、少し高級なチョコレートを買っていたのだ。そのためとにかくよく溶ける。ホワイトチョコをかけるとかけたところから固めたチョコレートがドロドロと溶け始めた。これではホワイトチョコ部分とブラックチョコ部分が混ざり合い、ホワイトチョコレートのコーティングどころではなくなってしまう。ぐちゃぐちゃの絵画のようになってしまう。うわああああ

 と、流石の私もうろたえた。

 

 明治の板チョコにすればよかったにもかかわらず!!!と私は自分のよくわからない発想(高級なチョコレートをトリュフに使う発想)を責めずにはいられなかった。それから私はこのホワイトチョコレートをかける作業の最中、トリュフ部分を串に刺してこのチョコがけをしていたのだが、ふとするとホワイトチョコの影響でトリュフが温まり「溶けて!!!」、串から落ちそうになる。これが落ちたらもはやホワイトチョコレートの中にブラックチョコレートが入るわけだから白いコーティングは永久に無理になる。なんとしても防がなければ。ど、どこかに置かなければ。

 

 私は気づいた。串からトリュフをどうやって外せばいいかわからないことに。もし変なふうに触りながら外そうものなら変なところにくぼみがつき、トリュフが可愛い形ではなくなってしまう!そしてその部分のホワイトチョコレートがハゲて変な模様になってしまう!そう考える間にもトリュフはどんどん溶けて串から落ちそうになる。もうこの形ダメじゃないの、くらいな感じになってからようやく、もはやおくしかない、ということで適当に皿においた。とにかくひどい。

 

 もう疲れたから書かないが、これらの一連の作業を常に緊迫した気分で行ったあと、ヤバめの見た目のチョコレートが完成し、あとラッピング買ってないということに気づき、一体私の頭は何が抜けてこうなったのかと落ち込んだあと、なんとなくテンションおかしい道を突っ走ってしまった。どうぞお許し。

 

 

shade.hatenablog.com

 言及されてたー

 嬉しい

 私がセーター二枚重ねで着ているのが観察できる写真がアップされていた汗

shade.hatenablog.com

 この記事にもちょっと言及されてたー

 なんか趣味共有できるっていいな。と思いました。趣味がない。グググ

最近登山って言っても同じような山しか登っていないし。高尾山とか。低い山しか登りたくないとか言ってたら登山サークルからもちょっと仲間はずれ的な。いやまあいいんだけど。分かり合える友達がいる人ってあってどんなこと話しているのかなとかきになるけど、目の前で誰か同士で話し合っているのを聞いているといつの間にか帰りたくなっていたりするという、今は社交の時期ではないのかな、みたいな感じ。ダメぽいなー。

 

 久しぶりに母が元気になって、インフル治ったーとか言って私に構いまくってるのですが、それもあってめちゃ気分がハラハラしてしまった。母はとにかくいろんなものにぶつかって歩くので、あと自分がいる場所を認知してもらいたげでめちゃつぶやきながら家の中を歩き回っているので、もう俺はうるせえええええええって感じです。テレビとかつけっぱなしだし、もうね。三日ぐらい放っておいてくれたら真心尽くして会話できると思うけど毎日これをやられようものなら夜眠れなくなるよ。

 

 臨機応変のりの字も出ないくらい硬直してしまうよ。わわわ。

 

 ブラックボーイっていう小説読んでいました。なんか、自分のバイト先での経験とかがこの小説に出てくるのに似ていたわ。なんというか、経営側に対して文句とか不正でしょとかいうのがあったらその都度ちゃんと声に出して納得のいく説明を求めた方がいいよね。権利のための闘争っていうか、主張っていうか。権利を一つずつ奪われてそれを黙認していたら、だんだんこの小説の時代の黒人と白人みたいになってしまいそうだよな。

 

 

 

ブラック・ボーイ―ある幼少期の記録〈上〉 (岩波文庫)

ブラック・ボーイ―ある幼少期の記録〈上〉 (岩波文庫)

 
ブラック・ボーイ―ある幼少期の記録〈下〉 (岩波文庫)

ブラック・ボーイ―ある幼少期の記録〈下〉 (岩波文庫)

 

 

 だうーってなるから励まそうとして明るい記事書いたりするけども、人間界は生きづらいなあと思ってしまうね。結局魅了されたものは中国と風呂の中と、山の中だけって気がしますようなきが。なんか無駄に敵意抱いてしまうこんな日常ではな。なぜ一世紀前の南部の黒人の話に共感してしまうのかわからない。いやわかる気もするけど、それを説明したくない。私には北部へ行けば、と願う心もない。いやでも説明すればいいんじゃないか。

 

 そんなにもし私が怒っているとしたら、それをこのブログに書いて見たらいいんじゃないか?もし本当に怒っているなら、それが出来るはずで、そしてやるべきだよ。それでこそ金字塔じゃないか?まるで頭のおかしいようなブログになってしまってもそれでいいではないかね?ランニングをして怒りを冷ましてるなんておかしな話だ。

 

 メガネをしなきゃいけないことにさえ怒っている状態は異常だけど、異常ないからでも確かにここにある限りはどこかに書かれてもよいはずだ。