いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

友達の子供が生まれた

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 友達(男)の子供が生まれた。たまに私と座って法律を勉強したり、ご飯を食べたり、彼女とSMプレイしてることとかを面白がって話したりしていた。そうある時あいつが「チューしていい?」って私に聞くまでは(殺すぞほんと)。していいわけないじゃろ。彼氏いるしお前も彼女いるでしょ、、、

 

 その友達の子供が生まれたらしい。子供が生まれた感想は「ゆめみたい」だそうだ。本当にゆめみたいで特に感動するとかではないらしい。奴らしいと思った。あっそ、って感じである。

 

 でもなぜかその感想をメールでもらった時に、自分の旦那が死んだら、旦那と過ごした日々は夢みたいに感じられることだろうと思った。多分私自身が子供を生むようなことがあっても夢みたい、って感じるだろうなと。特に感動するとかはなく。それに私って感動したことがないじゃん。それから、旦那が死んだら世の中に対する疑問と憎しみが増幅するだろうと勝手に思ってた。そうしたらきっとそれ以上生きて行くことができないくらいにその気持ちが強くなって私も死ぬだろうと。でも今日友達の知らせをもらった時、なんとなく、もし旦那が死ぬような時には、世の中のことは何も感じなくなるような気がした。死んだということがあまりにも現実で、世の中すべてが夢みたいになり、そんな感情にとらわれないで死ぬことになるだろうと。

 

 結婚は、旦那は結婚したいという人だから、私も旦那の願いを叶えてあげたいし、そう思ってくれるのと同じだか自分も思ってることを伝えたい。それをできるのが結婚だから、私も結婚をしたい。そもそも自分が家族を得るということがあまり現実感がない。将来自分の家族と生活してても、なんとなく「ゆめみたい」に感じるだろう。幻みたいっていみで。

 

 友達の「ゆめみたい」というのがすごくわかる気がした。