いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

沢山:沢山書けば

 沢山書こうと思う。人生って大抵の場合は、特に若い時は、しっかり話し合える話し相手がいないことが大半だと思う。若い時は、と言ったが、果たして歳をとったら話し相手ができるのか、全然わからない。多分もしかして一生ちゃんと話せる相手なんかいなくて、それは私のせいなのかも。

 

 私は人と話すことが苦手だ。人と話しているとすぐに脳みそが熱くなってしまう。他人の話す言葉には、特に演説とか講義のように遠くに向かって発音するような言葉には不思議な力がこもっていて、単語の一つ一つに物語が関連づけられているように感じてしまう。悲しい判例を読んだ時のように、その言葉の一つ一つに物語が関連づけられている。思索が炸裂。

 

 私はもともと遠くに向かって話すことが好きだ。誰もいないところに向かってゆっくり話す。たまには話しているつもりがいつの間にか声を出さないで、考え事をするだけになっていることもある。

 

 今考えていることが誰にも伝わっていない。このまま生きていくと、考えていることが消えて、また一年後には同じことを考えているのかもしれないと漠然と思う。それはなんか人生が勿体無いような気もする。だからブログに色々と書く。

 

 自分がなぜその道を選んだのか忘れてしまうことが嫌だ。でもそういうことは結構起きてしまう。私の文章は色んなところへ飛ぶ。飛んでいるように見えても、今の私には確かな繋がりがそこにあることを示している。

 

 私の祖母はアルツハイマーだ。最初症状が出た時にはまだアルツハイマーなどというものが広く知られていなくて、うつ病の薬を処方された。その薬についてはよく聞いていないのだが、当時のことで相当強い薬を処方されて動けなくなっていたようだ。そしてなぜかその薬は誰にも中止されないまま、昨年まで投与され続けていた。老人の薬なんてこんなもんである。ひどい話だ。その薬をやめてから祖母は少し反応が良くなったと、祖父が言っている。しかしもはや「反応が良くなった」という程度の症状にまで進行している。

 

 祖母は老人ホームに入居しているのだが、それは祖父が介護で疲れてしまったので、ヘルパーさんみたいな人が取り計らってくれて老人ホームに入居したのである。特養ホームなのでなかなか競争が厳しいはずなのだが、なぜかあっさり入れた。母は本来誰かと同居できるたちではないので介護には加わらなかった。

 

 私は全然祖母に会いに行かない。私が会いにいくと人が沢山いるのだ。後ろから私と祖母を見ている。私が色々と話をして、別に話を返してくれなくてもいい。だけど後ろから「もう何も言えない」という目で人らが見ているのだ。それが嫌だ。何も言えなくてもいいのに。私は祖母と私の関係について嘘の作文を書いた。私が祖母にこんなことをしてもらった、という作文だ。その作文は高校生か何かの時に賞に選ばれ、大勢の前で読むことになった。中学生だったかもしれない。どうでもいい話だ。その時嘘のことでもなんども練習して話せば自分の中で真実と変わらない様相を呈してくることを身を以て知った。祖母の入居しているホームの食堂にはラーメンがあり、海苔が入っている。それが美味しい。ラーメンはとても美味だ。元祖ラーメンという感じで、単純なスープもいい。春になると桜が咲く。雷が落ちると樹齢何百年の木が倒れる。

 

 歩いているとポストがやたらある地区と、いくら歩いても郵便ポストに行きあたらない地区がある。ここの住民は不自由だろうと思うのだが、おそらく見えないところにポストがあって、住民はそれを知っているのだろう。

 

 住民というと福島原発事故後の損害賠償の資料を読んでいた時のことを思い出す。損害賠償請求の手段は三種類あって、・・・しかし東電への直接請求ばかりが使われている。などと書いたあのレポート、単位を取れるかしらと思う。

 

エピクテートス―ストア哲学入門 (1977年) (岩波新書)

エピクテートス―ストア哲学入門 (1977年) (岩波新書)

 

  本を読んだ。

 大学の生協の本屋へ行ったら、広辞苑がもう割引になっていた。売り出してすぐ15%引きにされる本の悲しさ。

 

 安心できるのは黙って一人で本を読んだり考えたりしている時だ。でもどこまでも行ってしまい、目的のことは考えられない。少しずつロードされていく地図のように広がっていく。血液のように流れているが、失ってしまえばもう思い出さないのかも。だから書くことに意味はある。こんな風にならいつまでも書ける。インデックスシールを買いました。