いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

学期終わり

 泣いて頑張った試験終わった。最後のレポートを提出した時、追い詰められすぎていて「ひ、ひ、ひ」と変な笑い方をしてしまい、また歩き方がぎこちなくなっていたので明らかに脳に何かまずい影響があった。人間向かないことをやるもんじゃありません。評価されることも大切だけど、ある程度体力がない時には向いていることをやりたいもの。

 

 今学期は本当に頭が疲れていたので、何をやっても鬱っぽくて、それをごまかそうとしてもすぐ疲れて全く取り組めなかったので本当に大変だった。

 

 支援してくれた学部事務所と障害学生支援室の人にお礼を言って帰る。最近ずっと同じ服(外側だけ。中は着替えている。)をきているので変に思われていると思う。人の多いところに出る時には自分の家や洗剤の匂いが混じった匂いが付いている服でないと立っていられない。やはりそういうところは少し変なのかなと思う。中国では割にそういう人が多くて私は全然浮いてなかった。それが楽であった。

 

 大学と駅の間を歩くばかりの秋学期だったので、久しぶりに高田馬場まで歩いてみるかと思い、ブラブラと食べるものでもないかと思って歩いたが、一風堂の前で立ち止まり、ラーメンにしようかと思ったが一人で食べてもお金ばかりかかってつまらないし、と思い直した。そのあと何か甘いものでもと思って見たけれど階段を上らなくてはならなかったり、ここの草餅はたまに枝が入ってるから、などといろいろグタグタと言い訳して、特に買うべきものもなかった。そのあと成城石井に入り、あー生ハムとか久しぶりに食べたいと思ったが、この量の肉が1,500円、などと考えてじっと見ていると、特に食べたくなくなったので歩いてそのまま帰った。大抵のものはじっと見ていると、代替できるものが家にあることを思い出したり、大して食べたくないことがわかって買わなくて済むものだ。じっと見ていてどんどん欲しくなるものは、私にもデバイス系ではいろいろあるのだが、食べ物系は大体一人の時は買うまでもないと思い直す。でも寒くてたまらない時に見かけるサイゼリアにだけは抵抗できない。いつのまにかサイゼリアに入っていつものメニューを頼み、粉チーズをたっぷりかけて隣の客に笑われている。

 

 アルバイトもしなければならない。運良く単発アルバイトの仕事が入った。というよりもとにかくとんでもなく長い距離を歩きたい。ただ歩くのが好きなのだ。ずっと歩いているといつの間にか爽快な気持ちになる。体全体がただ頭蓋を運ぶための装置のように感じられてくるのだ。そういうのを私は爽快と呼ぶ。

 

 みんな見守ってくれてありがとうございました。なんとか学期を終わらせることが出来た。本当にありがとう。これからも頑張ってやる。

 

 今日めっちゃ休んでました。