いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

視野

僕にはもう命が残ってない
風呂の底で息を止めてるみたいに
常に苦しい
溺れそうな恐怖もある
攻め入られる瀬戸際という感じ
こんなにも大学を卒業するために
追い詰められる
曇ってて
血も足りない
もう命が残ってない
電話もとりたくない
何もやり遂げてない
顔を見れない
ビルが怖い
部屋が怖い
先生が怖い
ビルが嫌い
部屋が嫌い
先生も嫌い
もう命も残ってない
大学なんてどうでもいい
なんでどうして
毎日屋上の防水工事してる
ゴロゴロとローラーを転がし
自然に泣けてしまう
世の中の最善を僕は尽くせない
誰とも対面したくない
早く仕事をさせて

 

 ただのうつ

 大学に入った時には家族法を学んで自分の課題を解決したいと思って、教職を取ってわたしみたいな子供の話を聞いてあげたいと思っていた。今思えば周りの姿勢とわたしの姿勢は全然違って、わたしは発達障害でつかれて、腹が立って、うつぽくなって、わたしの姿勢が間違っているんだと思って、二つとも諦めてしまった。もうやる力もなかった。それを今、いろんな人に、法学に興味がないから他の人と同じようにできないんでしょ、なんとかなると思ってズルズルここまで来たんでしょうと言われている。違う。それは違う。わたしが負けたんだとしてもそんなこと言われなくてもよさそう。興味がないわけじゃない。興味があるわたしは死んで行ったんだよ。でもそう思っても仕方ないよね。

 

諦めた時にやめればよかった。やめるにも体力がいる。そもそも大学なんか来なくても学んでいたらよかったのに、なんでお金がかかってるのよと言われながら大学へ来てしまったんだろう。向かない職業だった。ただあの頃の自分はだれかに認めて欲しかっただけ。

 

こんな場所で親ばっかり怖くて死んでいくのだと思ったら嫌で、広い場所に行きたいだけだった。

 

親切にしてくれる人の期待にも答えられなくなっているし、なんでここまできてしまったのか。大学なんか来るんじゃなかった。「大学に行ったらあったことのないような頭のいい人にも会えるし、もっといろんな面白いことがあるし、好きなことを勉強できる。」とお父さんは言っていた。頭のいい人なんかいなかったよ。ただみんなわたしより元気な人だった。お父さんもあの頃はあんなに痩せていたと思ったら、ちょっと笑ったけどすぐ豪快に泣いてしまった。

 

 ふわふわした甘味が食いたい。(追記)もうそれでいいよ別にやる気がなかったってことで。先生君は羨むがいい。あなたの職歴は二十代そこらで決まってたんだろう。わたしは大学を卒業できなかったら、いろんな仕事をしてドタバタ生きていくんだぜえ。望んだわけではない。