いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

笑い飛ばすという所業

旦那が悩みを打ち明けていたのだが、そんなことどうにかなるよとか考えても今は仕方ないとか、やって見ないとわからないとか言ってちゃんと聞かなかった。過度な楽観主義的反応を繰り返した。

 

そんなことちまちまと考えるよりとにかく前に進まなきゃと自己正当化した。わたしはタフだと思い込んだ。旦那にもタフだね君はと言わせるシチュエーションをあえて作り出しそれで満足しようとした。

 

今日お母さんが健康診断の後の再検査を終えて帰ってきた。健康診断の時に発覚した二ヶ所の腫瘍について聞いたのだが、一ヶ所はすっかり忘れて検査してもらわなかったらしい。えええと思った。「あらー笑。忘れちゃったよ」といっていた。

 

この時お母さんの笑顔を見て思い出した。わたしが真面目に相談して悩みを打ち明けている時、お母さんもわたしが旦那にしていたみたいに、いつも笑い飛ばしていて、なんの建設的な相談もしなかったよな。いつもわたしは1人で考えて、打ち明けたことを後悔するしかなかった。反省して、旦那に電話してすぐに謝った。こんなことでは

 

 後自分が自分である以上、自己正当化はいつでもどんな場合でもできる。してもしなくてもいいものだ。重要なのは本当に大切にする相手と一緒に生きられているかということで、これからも一緒に生きていけるかということだな。

 

周りにたくさん人がいればそれだけ気づきも多くなるから、いいよな。相手がどうしたら幸せになれるか、楽になれるかかんがえたい。