いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

浮気に関する幾つかの家族的エピソード

その前に:こんなハガキ届きました。気をつけて。詐欺だそうです。裁判所からの通知は封書で届くもんでせう。

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曽祖父のお妾さんに曽祖母は給金を支払っていた。曽祖母は亡くなる時自分の足を紐で縛り、足が開かないようにしていた。曽祖母は亡くなる時にも刀を身近においていた。晩年は曽祖父の仏壇に線香をあげていて着物に火がつき、火傷のために弱った。

 

私は曽祖母が、昔あった家の中の渡り廊下を、めろんの乗った皿を運んで歩いて渡っている光景をよく思い出す。あの土地ももう売られてしまった。あの家の欄間はみなに狙われていたが、狙っていた人たちもだんだんに貧乏になり、死ぬか、それとも家を売り、欄間をかける場所などなくなったのだった。

 

祖父が住んでいた貧し目の家のちかくには、大金持ちのおじいさんのお妾さんである綺麗なおばあさんが住んでいた。祖父の母(これは前のエピソードとは違う人)は、社交的で、仲良くなり、空襲の時は祖父の家族みんなでお妾さんの家に作ったセメントか何かの頑丈な防空壕に入れてもらった。

 

大叔父は医者だが、その妻は同じ病院で働いている。その同じ病院の婦長である女性との間に隠し子がいる。あの狭い病院でよくもそんなことが起こるものだ。しかもその事実が親戚中に知られているというのは......? 私は挨拶以外したことないが、あの大叔父はずいぶん思い切った性格のようだ。

 

叔父は見合結婚したが、恋愛結婚でないことを未だに嫌がっている。あほかな。浮気しようにもしまいにも性格が悪すぎる。

 

これ以上近い人のことを語るのはやめよう。面白すぎる。ここから先は少々笑い話では済まされない。

 

  ちなみに私は浮気はしないな。

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 にんじんです。

 

 ブラックバイトユニオンにメールしよう。今日は学部での面談で、ストレスが溜まってしまった。自分にできないことを堂々と説明するのはちょっと嫌いだ。気合いでできるかもしれない部分もあるけど、いつでもできるわけではない。できないと言い切るのは違う。いつまでも努力していきたい。でもこれは今頑張れない可能性が非常に高い。だけど自分ではできないと言いたくない。でも頑張れてもできない可能性が高い。そもそも体力がいちばんの問題。でもできないとは言わないべきだ。でも学部との面談ではできないこととして説明しなければならない。できないから助けてくださいと。どうなってしまうのだろうか。なんだか神経が侵されそうなのだ。

 

私の場合できないことを全部説明したら「こいつはもう文章を理解できないし、物事の脈略も文から読み取れないのだから文盲と言ってもいいのではないか」と思われているだろうと思って悲しい。文盲ってそんな生易しいものではないよとも思う。大学卒業できなくても全てが終わりじゃないよ、とか助言するのはやめてほしい。あなたたちは大学卒業したんじゃないか。だから今の仕事についているじゃないか。私は学費を払ってきて、ここで卒業できないことを平然と受け入れられるような無関心な人ではない。終わりじゃないことなんかわかってる。私はいきていけるし働ける。でもその一言が意味することは、卒業できないのは私のせいだけなの?普通に真面目に勉強しようとしている学生である私を、何かと的外れな言葉を浴びせかけた末に、学部の先生は頑固だから、と言って、大した柔軟な対応もできず、それをはいその通りと飲んでいくのが、有名大学の対応なのか。「どうにかなると思ってたんでしょ?」って言われたけど、自分の人生や学歴について、うまくいかなさそうなところを「どうにかなる」と思っている人間なんかいないと思います。これまでどうにかなったことなんか一度もない。

 

大学に入ってから、取得できた単位の科目についても、「しっかりわかった」と思える部分が一つもない。落とした単位と拾えた単位の違いもわからない。自分が少しでも前より進化していると思えない状態が長く続くと鬱っぽくなると前に書いている人がいたけれど、私が一時期鬱っぽくなっていたのはそのせいだと思う。だから本を、読めなくても読もうとするんだと思う。ツーか絶対卒業しますし。