いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

ちょっと書きたいと思った

 いつも辛い思いをしてそこまでいくのに、ここ一番辛くて、ここを抜けたらたどり着けそうって時に、これ無駄じゃんとかつまんないとか、辛いだけとかいって引き返すのは勿体無い。でも割とそんなことばかり繰り返しているわ。私はなんだかんだと、完成させることが嫌いなんすよね。自分がなんかその道の人として周囲の社会から区切られてしまいそうになることとか、この先一生このことを考えて生きていくんだわーとか思ってしまうことも嫌い。登山とかしているけれど、頂上に行くのは全然好きじゃない。頂上行かないで引き返すくらいのが一番すっきりする。頂上とか本当にどうでもいいんですなあ。どうでもいいのに、なんか頂上は偉そうで「オレ頂上」みたいな感じなのもよくないし、登っている人たちが「これで頂上だ!」みたいにすっきりした顔しているのも、あれはなんか違うと思う。頂上まで極めなかったら途中がムダとか言う考え方もあるけれど、ムダでいいんやよ。だからいつまでも大学卒業できないのかなあ。でもそう言うのが好き。『学ぶ力』って本に書いてたみたいに、ムリとムダとムラを楽しもうや。

 

学ぶ力

学ぶ力

 

 

 もしもアーレンレンズのメガネで、本をスラスラ読めるようになったらもう途中で本を読むの諦めてポイすることも無くなるのかもしれない。けど多分最後まで読まないでポイしますね。それは性格なので。そしたら後でまた拾って読むし。

 

 もしアーレンレンズのメガネして数学が解けるようになったら、「なんじゃたわけ、数学解けるやないかあほ」とかいって数学の本を壁に叩きつけたいですね。関係ないけど、なんかパフォーマンスとして。ついぞ本を壁に叩きつけたことがないので。お母さんはさぞかしびっくりしますでしょうな。私そのくらい穏やかな人間なのです。普通か。

 

 なんかわかんないけどできると思います!とかいって結果破滅している自分とか、「明日できるとはいっていないです。10年後にはできると思います」とか言い直しているクズな自分が大好きですね。人に迷惑はかけぬようにしたい。