いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

風邪は治った、また新たな問題が出現した

 祖父から電話があった。私の就職先について、「納得がいかないから」「説明に来るように」なる電話だ。ほう。「納得がいかないんですか」。ほう。ほう。ほう。わかりました。「会いに来るように」ですか。はいわかりました。はあ。はーいわかりました。親戚って面倒ですね。ちゃんと経過も話してきているのに、結果には納得しない。納得ってなんだろうか。もし何かコネとか紹介してもらって、それを断ったというなら話は別ですよ。だけど、何もしないのに(されても困るけど)最後に納得できないと言われても、別に納得してもらわなくてもいいです。という感じではあるが、別にあの人が悪いことをしたわけでもない。ならばちゃんと話してこようと、そう思った。

 

 前から「娘は母親と毎日晩食をともにすべきである」とか、「そんなにアルバイトをするべきではない。勉強に専念するべきだ。」などと、べき論があってもソリューションを提供することはないのが家族であった。そこには母は仕事が忙しいとか、娘には金がないとかの事情があるのをすっとばしてた。私は自分で選ぶ家族に対してはそういう風にならないようにしたい。ただしそれはやり方を間違えたらただお節介な人になってしまうし、心がないと思われたり、難しいことではあるのだが。

 

 べき論を言ってばかりだと、結局何も相談されなくなるし、周囲と自分の間に溝が増える。そんな気がする。べき論は言わないようにしたいと思った。

 

   昨日のウメッシュの残り気が抜けてる。こんな味だったかな。