いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

内々定先企業が大量のリコールを出した時、内々定者である私が思ったこと

 リコールは内々定が出され、たいていの内定者は他の企業の内定を断った後となるであろう時期に発表された。これは一つの技だろうし、もちろん私はこういうことが起こるということは想定していたので他の内々定をキープしていた。キープしていたというかたまたま手中にあったという言い方もできるのだが。

 

 その時まず思ったことは、このリコールが単純に何を意味するのか計りかねたということである。別に大企業でもないのに、ネット上にはリコールについてのまとめなどが発表された。一体誰がなんのためにこんなまとめを?まあそれは大体わかるけど。この製品のリコールで損害は一体いかほどかということも気になった。気になるけれど、結局採用担当にはまだ聞いていない。そろそろ全体像も見えてきたことだろうし、聞いてみるか。

 

 まあなんでもいいから考えたことを全部書いてみる。リコールを行なったのなら、内々定者に対してその損害と財務状況を説明したらいいのにということも思った。御社が心からいいと思って選んだ情報に敏感な内々定者ならば、御社のリコールに気づいていないわけはないのだし(実際には皆情報に鈍いのでそこまで深刻だとは思っていないってことは私が知っているが)、放っておいたら勝手に不確かな情報を集めて不安になるものも増えるだろう。というか内々定者にこの情報を聞くか否か逡巡させるなというか、無駄な気苦労をさせてはならんだろということを思った。一言で言うと私に変な気を使わせないでよー。

 

 ちなみに私は修羅場みたいな状況の方が働きやすいのと、修羅場だけど職場内の人間関係はそこまで修羅場っぽくないのとに救われてこの内々定先で働こうと思っている。でも修羅場好きでも、思考停止中でもない普通の内々定者にとって、大量のリコールがあるっていうこと自体、めちゃくちゃ気苦労の種だということをちゃんとわかって欲しいのである。誰にわかって欲しいかというと、企業で働いている人にも知って欲しいし、特に役員には知って欲しい。このような年次にそれでも入社する内々定者は、そんなにも御社が好きなんである。ボロボロになったその御社でも持ち直してやるぜって感じで就職しようという気概のある新人なのである。

 

 特に目立ったプレスリリースが頻繁に行われているわけでもない会社にとって大量のリコールを出すということは、リコールネタがGoogle検索にボロボロ引っかかってきてしまうということである。それだけで企業の名前を親戚から、友人から検索されるたびに「うわー、リコール出してるよ」と思われるということなのである。

 

 なんども「大丈夫?」と聞かれ、「大丈夫かな」とその度に不安になり、それでも入社してきた新人なんです。

 

 つかなんかこれ書いてたら、自分何言ってるんだろうと思ってきたわ。そんなこと上司にわかってもらっても別になんの救いにもならないしな。あーもう嫌だわー。就活もうできないものな、っていうきもちもある。単位もえぐいし。

 

 てか他の内定者さ、ニュース見てなくないすか。気づいてないっぽくないすか。つかまじ、就活もっかいするのか?それからファーストキャリアってそんなに大事だろうか。もし倒産したら、倒産する企業を見抜けなかった私は無能ということになり次の転職に響くだろうか。それならいっそ外資の企業にインターンでも行った方がいいだろうか。でもそうしたら私と旦那の生活はどうなるのだ。結局誰でも弱みはあるし不自由な点はあるもの。そう言うところで足を取られて、判断を鈍らせることが常にある。判断を鈍らせると言うか、そう言う条件付きで行うのが通常の判断であるといった方が適切かもしれん。

 

 この弱みとか不自由をできるだけ作らないように勤めて生活していくことが大切なのだろうが、私にはできないよ。できないよだと?やっていくぞ。さっさとやるぞ。体力が欲しい。ただ体力が欲しい。でもなんかそんなのもないと全然人間らしくないって気もするんだとか甘いことを言いながら。

 

 と言うかあの営業の人が頑張って売り込んだ製品、全部回収になったのか。あの工場の人が頑張って働いてパッキングした製品、全部回収になったのか。きついもんよな。

 

 

 

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