いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

お分かりになりますかこの承認欲求

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真ん中の写真は食用のザリガニです。ザリガニを食べるなんてかわいそう(我々はザリガニをペットとして飼うので)と感じるかもしましたが、食卓に出てきたら普通のゴツめのエビなので、気にならない。@四川

 

写真はうだるような暑さの中でザリガニが死なないように凍ったボトルを入れて冷やしている様子。なんだかんだ人間もこんな状態なのがいそうだな。

 

私はほんと馬鹿なことをしていたように思う。人生で初めて信用できる人間であるだんなに会ったと思って、なんでも話しているつもりで、話すことを礼儀だと思っていたくらいなのに、なぜ私が食品マーケティングをやりたいと思っているかを話したことがなかった。それに、まだ完璧な話しきってはない。だんなには話の内容も、ちゃんと他の人にもだんなにも話さなかったことに関しても呆れられてしまった。

 

だんなに呆れられて喝を入れられて初めて気づいたのだが、私は甘えていた。やりたいことに手を出しまくり、失敗してもいいんだよって言ってくれるだんなに甘えていた。基本、承認欲求のかたまりで、ムカつく人でも少しでも褒める言葉を口にされるとうふってなってしまう。頭おかしいんである。それくらいの人間だから、なにをしても承認の言葉を言ってくるだんながいる状況にズブズブであった。けどだんなはそういう意図では褒めてないんである。

 

承認されても自分の価値が上がるわけではない。そのことを忘れないようにしなければならない。価値があるから承認されるのである。私がやりたいことが世の中にあふれているなんていう考え方は頭おかしいんである。私がやらなければいけないことなのだ。すべて。命しかない人間にとって、自立するということはどういうことか。

 

私がだんなに大切なことを話さなかったのは、母と同じように前もって私の行動を評価する人を持ちたくなかったからという気もする。自分で考える力をもっとつけたい。