いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

資本主義に反しているのか私の夢

 私の夢は、健康で安心な食品、食べることで健康になる食事を、誰でも好きな時に食べることのできる社会を実現することだ。

 

 私の大切な人は、52歳で死んでしまった。その人は決していい人間ではなかったし、性格的に欠陥しか露見しないような人物だった。その人は人に騙されながらも社会をよくしようとして、また人に騙されるようなアホであった。その人は忙しく、時には貧しく、健康な食事を常に取ることができなかった。わざと忙しくしていた節もある。その人はその歳で死ぬようなわけないのに、風邪であっさり死んだ。必ずしもそうとは言えないが、もし食べていた食事がもっと健康なものだったら?もしそうなら死ななかったかもしれない。

 

 なぜそんなクズな人間が死ななければよかったのにと思っているかときになるかもしれない。それはその人間があまりにもクズで不自由でアホだったからだ。その人が死んだ時に、私がどんなに悲しい思いをしたか、誰にもわかりやしない。なんでそんなクズな人間に寂しさや悲しさを覚えるのか、私にも完全に説明できるわけじゃない。人間というものの喪失というものがそういうものなんだよ。人間じゃなくても、なんらか自分に影響のあったやつがなくなるっていうのはそういうことなんだよ。正直に言えば全然大切じゃないし好きでもなかったけど、やっぱり大切な人なんだよ。いなくならなければよかったと思ってるんだよ。

 

 だから私は健康的な食事が、いついかなるどんな立場に置かれた人にも届くような社会にしたい。とどのつまり全ての食品、食事を健康的で安価なものにするか、高価なものでもその食品にアクセスする意識を多くの人に持ってもらうことが私の夢である。

 

 彼氏によれば資本主義に反する野望だから就活で話しちゃダメらしいけど、私は話してしまった。私はできると思う。しかも関わる川上から川下までの人全てを幸せにしながらそれをやりたいしできると思う。私はガチなんである。

 

 夢ってそういうひょっとして自分を壊しちゃうような可能性のあるものじゃないのか。違うんだよわたしはクズじゃないんだよ。ちゃんと人と関わって何かできるんだよ。なんでこうなんだなんでこうなんだなんでこうなんだよ。こんなとこで諦めんなし。

 

 いや。できるよ!ぜったいできるよ?っていつまでも言い続けてるバカだいたい。でもあの人みたいに死なないでだんなをしあわせにできるように。そういう人生がいい。