お腹減ってるときいつも不安になってお金をおろしてごはんを買いだめたいと思ってしまう。
太ってはないから大丈夫かもしれないけど、わりといつも食べてる。わたしの人生の中にはめちゃ食べてる時期とひもじい時期があった。ひもじい時期のが長かったのに、「人はお腹いっぱい食べれる状態が通常状態である」という認識がある。いまいろんなものが再び後先考えなければ食べられるようになったわけだが、はたして「お腹いっぱい食べれる状態が通常状態である」のだろうかと再度自分問う。
この世の中でどのくらいの人がお腹いっぱい食べれる状態なのだろうか。それを考えればとくに「お腹いっぱい食べれる状態が通常状態」ではない気もする。まあ気にすんなという話なのかもしれない。まあ何事も気にすんなよ。
家を出たくて雨の日ジョナサンで読書。格安SIMにしてもっとご飯食べたい(また食べたい話か)。
コーヒー美味しくない
イヤーマフ主婦の会話が小さくなって快適。
スタンディングデスク欲しい。 わたしがスタンディングして台を高くすりゃ済む話だけど。
渋谷をよくする会議でオーガナイザー?の人が「若いときは世の中に悪いところがあるからそれを直せば良いと思って悪いところを探していたけど、それは間違いで、こういう未来が良い、こういう世界にしたい、こういう世界をつくりたいという考え方の方が世界を変えるのだと気付いた。」という話をしていた。わたしはいま「悪いところを探す」者だ。わたしには理想がない。その会のワークは、自分が困難に負けずに取り組み続けたらこんな世界になっているというのを考えよう、と言ったり、こんな世界にしたい、未来には仲間とこんな会話をしていたいというのを想像して話してみよう、と言われたりして、悪いところを探す者から未来を作る者に転換させようという流れがあった。
こういうシチュエーションに置かれると嫌な気持ちになってしまう。わたしには無理なのだ。少なくとも今は無理だ。と言うかやりたくないのだ。
雨が降り注ぎ肩まで腐らせたわたしを殺すがいい。攻撃的で、うまく未来を見れない。土の中に懐かしい人を探すようなきぶんを装ったり、歩いている人を殺す方法を考えている人になりきって暇つぶししたりする。
心から笑顔で世の中のために生きる人、自分のために生きる人、あなたは立派な人だ。私は折れた。
電車の中で虫を踏み潰している人がいたら、虫の方に価値を感じ、人を殺したくなるような人間なのだ私は。あなたは立派なちゃんとした人だ。
走りされよそなたに幸せあれ。
でもたまに思うのだ。
そんな自分もよくね?ってね。
これは去年書いたもの。同じ人が読んでいてくれて嬉しい。