いのちばっかりさ

その金字塔/ 絶対自立(物語です)

行き先を偽る

 行き先を聞かれたら偽る。

 ニュースの画面の下のところにツイッターのつぶやきがセレクトされて映るやつ、あるよね。NHKだか、なんかの番組。あれきらい。考える前に、そのニュースはこういう感情を引き起こすものだよ、と教えて来る。

 

 どこそこに行く、と言うと、だんなは「楽しんでね」と言う。言われるたびに別に楽しくもないだろうけど、と言うか楽しさの問題ではないな、と思うけど、そう思ってだんなの顔をみると、挨拶程度に言ったのだという顔をしている。だから安心してノーマルな気持ちで日々に臨める。これが母でも「楽しんでね」と言ってくるけど、だんなのと母のは違う。母のは大体誰と行くとか、どんなもの食べるのとか、どのくらいその人と付き合ってるのとか、そう言うのも聞いてくる。それも嫌だけど、さらに「その経験は素晴らしいものになる」とか「さすが私の娘である」とか「そんなことをやっていると浮かれたやつだと思われる」とか「そんなの好きなんて変」とか「良い趣味をしている」とか言ってくる。それの何が嫌って、私が大切な1日を先入観なしにすごそうとしているのに、勝手に割り込んで意味づけしてくるところだ。意味づけされたら最後、逃れようと思っても逃れられない。逃れようとしていることでもうすでに変なバイアスがかかって、1日が濁っているのだ。だから行き先を偽るが、それもまた変な濁りを生んでいる。ただ自由でいたいのに、「母から逃れてやっと得た自由な1日」と言う画用紙の上に1日が広がって行く。常に後ろに母がいるような気になる。「良い趣味をしている」って、そんなの趣味だと思ってなかったのに、勝手に趣味のフィールドのこととして考えなければいけなくなる。こんなふうに意識の深くまで入ってくるところは、さすが親だなと思う。

 

 こんなふうに2人のやり方を比べられる日が来たのはたんなが私と付き合ってくれたからでありがたい。