いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

将来について考えるという発想

 旦那に会うまで将来について考えるという発想はなかった。考えていたのは将来と言う名の思考が働かない場所で、理想の生き方、かけたところのない生き方をする理想の人物の話。

 

 両親には悪いことをした。

 旅行先のパンフレットを見せられても、私は夏季休暇にそこへ向かうことを楽しみになどしなかった。未来のことを考えると言う発想がなかったといえる。ただいまの自分に対する深い絶望を抱いていた。

 

 深い絶望という下地の上で面接で笑っている私は、いま未来について自分のことを考えている。将来について考える人間は単に善人ではいられないかもしれない。