いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

社長が世襲の中小企業の面接に行くと感じる閉鎖感

 社長が世襲で、新入社員としてその会社に入って生涯はたらいても社長にならないという閉鎖感について、聞いて知っていたが自分で体感したのは初めてだった。

 

 別にほんとうじゃなくてもいいが、やはり食品メーカーに就職する際には「ずっと勤めたい」と言っている。けどそれを言いながら社長が世襲であるということを目の前で見せつけられると、どうもうっとおしい気持ちになる。別に社長になんかなりたいわけではないが、なんだこんな風では!と思ってしまう。

 

別に社長を盾にして自分はいろんなことを学んで、価値を高め、社会にとっても会社にとっても有意義な人間になれば良いわけだが、どうにも閉鎖感だけがある。社長になれないというより、実力の有無に関わらず社長大続けるこのひとを一生支える社員人生が苦痛なのかもしれない。

 

一生懸命学んで、かついつでも会社の外を見られる人生ならいいが、俺は前にも言ったが会社の人のファミリーになりたいわけではない。

 

このような人たちがなんで100年も事業を続けていられるのだ、と内心では思いつつも、そこには理由があるから、それを知らねばならない。それが成り行きにしろ何か理由があるはずだ。

 

こういった会社で元気でいるのは腰掛けと思ってる人だけで、転職するから元気なんだと誰か話していたよな。

 

インターネットの普及に感謝したい。もしもこういう会社に勤めていろんなところに飛ばされても、どこにいても勉強を続けられる。

 

夕立が来た。