いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

静けさ

 1人で家にいて、私以外はこの家に今日はもう誰も帰ってこないし入ってこないという夜。私は部屋を掃除する気になり、古くて使わなくなった布団を捨て、カーテンを洗い、雑巾を用意した。

 

 今日は静かな日だ。

 

 私は入浴剤を買った。

 私の暮らしを人並みにするティッシュペーパーやファンデーションのようなものも買った。

 

 いきなり私は生活を始めるかのようだ。このまままともになれそうである。

 

 母からたまにメールが来るが、彼女は島に遊びにいっているので、ソーキそばの写真とか海の写真とかを送ってくるだけだ。「いいね」とか「楽しんで」というだけだ。

 

 島の人と飲み屋で飲んでいます、という写真を送ってくるので見て見たが、母だけ明らかに浮いている。馴染めていない。母が北海道や沖縄や、アジアをたのしむやり方は私とは違う。私は母のやり方に心がごわついている。

 

 きっと母は馴染みにくい人なのだ。私はそうなりたくないと思う。どんなところでも、そこへ行きさえすれば、前からずっとそこにいたかのように扱われたい。

 

 喘息が再発したので、朝起きづらい。部屋を掃除したのはそのためもある。

 

 静かな場所があると、私は自分の生活を立て直すことができそうだ。父は音に敏感すぎるところがあったが、それは私にも遺伝しているようだ。

 

 そろそろ通院を再開しようかという気にもなって来た。

 

 静かだと物事を最後までやることができる。この気分を騒がしい時にも引っ張り出してこれればいいな。