いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

全然憂鬱なんかじゃない

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 ここ数日、憂鬱みたいな感じの記事を書いているが、私はちっとも憂鬱なんかじゃない。本当に憂鬱なんかじゃないんだ。家に帰らない日々は憂鬱ではない。1日の最後に「家に帰る」という蓋が付いていない限り、私の生活はとことん通気性がよく、全く憂鬱にならないし、身体もだるくならない。結局京都で夜泊まるためだけに1日1,400円を費やすとしても、もう人生は爽やかでたまんないくらい快適。

 

 やはり家族とは距離を置くときがきたな。と思う。というよりは、もっと早くそうしとくべきだったな。私の家族はみんな弱いから、ちょっと自由なことをしても、絶縁とまではならず、結局疎遠になるくらいだろう。彼らがちょっとやる気を出すかぶっちぎるかして、絶縁になったとしても、私の方としては、そんなことして今のところ損しかないのにすごいことするなぁ、と不審に思うくらいのものだろう。心の中ではそうならないかなと思っている。しかしだいたいの場合受け身でいるだけでは、不利な状況しか回ってこない。

 

 家族のいる生活を、サービスとして買えるとして、月額いくらまでなら買うか、一週間に渡って考えてみた。その結果、月額2500円までなら買う気になるという結論に達した。必ず買うという意味ではない。2500円で買えるものは、「家族がいないというイレギュラーな存在にならずに済む」という利点である。しかしこの家族という関係は、継続維持しなければいけないわけで、寅さんみたいなわけにはいかない。途中解約して、しばらくしたらまた契約するわけにはいかない。

 

 そう考えると、月額2500円というのもキツイなあと思う。現実には自分で値段を選べるわけではなく、仕送りとかしろと言われるようになったら、月額2500円の仕送りで済むわけがないんだから、もっと高くつくわけで、家族というのは本当にコストがすごい。自分で選んだ相手との家庭ならまだしも、生まれた時から与えられた家庭にそれだけのコストを払うというのはちょっとアンビリーバブルな話だ。

 

 家族は割に合わない。私はだから、家族以外の人と親交を深めたいと思っているのだが、家族以外の人と親交を深めようとすると、母がどっか行くなとか夜は出かけるなとか、土日は家にいろだのと言って妨害するので、こちらとしては恐怖しかない。家にいたところで不愉快なことを言うだけだ。

 

 今回も京都に行くだけで、(泊まる場所を聞くのはまだしも)誰に会うか書いて行けだの、その人の住所と連絡先を書いて行けだの、いう。住所なんか知らねえ。当然拒否である。

 

 家族といるとどんどん閉じ込められて行く。今年の目標は、バイトで月に12万円稼げるようになって、さらに就職内定をもらい、引っ越して一人暮らしして、自立することである。

 

 こんな風に家に帰らないでいると、人に反感を買いやすいし、だいたいちゃらんぽらん感がすごく、浮浪者みたいな感じである(そういう他者からの認識にも反感があって、ジプシーの本読みたくなる)。

 

 やはり日本人は、定住してる人に共感、安心するみたいなので、私もできればイレギュラーな存在にならないように定住したいのだ。家賃3万円くらいのアパートで住めれば嬉しい。いつでも好きな人と好きな時間に会いたい。

 

 とりあえずいつでも引っ越せるように、本を捨てて、持ち物をダンボール五つくらいにまとめよう。これが本当大変な作業だ。あと私絶対に負債は作りたくない。

 

 今日はただ歩いたり試験の本を読んだりしていた。