いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

元旦

 どんな人にも生きてきた年数があって、それが不遇なものであっても、その年数は確実にその人の一部を作っているか、もしくはその人のすべてに少しずつ影響している。

 

 他人や過去に対しては誰もが自分の見解を持っていて、結局のところ人が離れ離れになるかならないかは、人同士助け合うことができるか否か、これから助け合うことが予想できるかできないかによるのだ。その上その助け合いを自分も望み、相手も望んだ場合、初めてずっといっしょにいられるのだろう。と、私は思っている。

 

 年越しの時恋人の学生時代の先輩と、恋人の友人に会った。みんなずいぶん年上なんだなと思った。彼らは完全に大人だったし、自立していた。年を取っても大人になれる人となれない人がいるのだろうか。

 

 子供を育てることを思うと、子供というやつが夫婦をダメにするという気になる。私自身、もしも私という子供がいなければ両親は未だに愛し合っていたのではないかと思うから。かといって自分がいなければいいとか、今はもう思わないけれど。

 

 ところで私は多動な方だから、静かにじっとして物事を見つめ判断し、人の行為からその欠点を洗い出そうという視線を向けてくる人には、恐れを隠せない。何を考えてるか分からないから。私は生き方そのものを見失っていて正常には動けていないから、そんなに見ないで欲しいのだ。

 

 とりあえず元旦は、ちゃんと好きな人と過ごすことができ、一年頑張ろうって気分になっている。

 

ーーー追伸

 paizaでPythonのプログラミングも勉強している。本も買ったが、なんか開きにくいので、動画でやろうと決めた。手軽にできるのがいい。