いのちばっかりさ

その金字塔/ 絶対自立

過去を思い出すときの印象

 人によって過去を思い出すということに伴う印象がちがうだろう。私の二十数年の人生の中でも、子どもの頃と今では思い出すということは同じではない。子どもの頃に思い出していたようには今は過去を思い出せないし、子どもの頃は今の私のように思い出すという行為をするという発想がなかった。

 

 思い出すというのは、回想する、振り返る、つまりなんらかの感覚により自分で過去に感じたイメージなり、感情の動きなりを、今の自分がまた取り上げることであろう。いまとなっては、子どもの時はどのように思い出すという行為をやっていたのか説明するのは難しい。それ自体を思い出せない。

 

 そうおもうと、なんだか自分の過去に向けて呼びかけても呼び声が届かない場所というのがある感じだ。どうもむなしい。子どものときに感じたことすべてを書き留めておけば良かった。いや書き留めておいても、当時私が予想した読み方では、今の自分はそれを読むことを出来ないのかも。私の人生の感慨については、はいくつかの人の死に憤慨したり心を動かしすぎ、自分の感情に理由付けをしようとむちゃくちゃになったせいで、もう振り返ってもちゃんと素直な状態のものはほとんど残っていない気がする。とっても眠いなり。だんだんこうやって子どもの頃の自分から切り離されていくのだろうか。あのころ感じたはずの悔しさや怒りを今でも踏みしめているはずであるのに。

 

 

「酒」と作家たち (中公文庫)

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川端康成随筆集 (岩波文庫)

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