いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

保温ボトルを買う

 あれは西安に居たころのことだったであろうか。

 あれは『私は潘金蓮じゃない』という映画を見た後であっただろうか。あれは西安市和平映画館という工事中(ネットがかけてあるだけで工事の音はしなかったので、何を工事しているかは分からない)の映画館の裏側に偶然出てしまったときのことだったであろうか。あの日はちょうど大気汚染がましで、青空等見えていた日であっただろうか。

 

 暗闇の中に3人の女がしゃがみ込んで用を足している様子は場慣れしており、さすが現代中国の若者であってもニーハオといれは使えるんだなあと関心したものだ。薄暗闇の中で水気のある目が光っており、私はそれとは別にニーハオといれの構造になんとなく関心した。映画館の中には空調がついておらず、2時間ほどの鑑賞の後私の身体は冷えきって震えていた。震えながら不慣れな日本人はニーハオといれを使用した。

 

 なんだか日本に戻るという気がしないので、このままその辺りで眠りそうであった。私はとにかくパワーポイントを作らされ続ける大学の講義にうんざりしており、また英語を学ぶことにも興味がないために英語の講義に出席することが嫌であり、帰りたくないのである。同じ漢字文化圏に属する中国語を話している私の方がずっと自然だし、別に英語なんか勉強しなくても読めれば問題ない。とにかくパワーポイントである。パワーポイントは本当になんで何度も作らなければ行けないのだろうか。

 

 私は自分に対して猫なで声で説得した。「帰ったら軽くて素敵な保温ボトルを買ってあげる」と。もちろんそんなものは何の慰めにもならないのだが、講義の間にそれにはいっている茶を飲むことによって私の心は解放され、茶を飲みにきて偶然講義を聴いているのだと思うことにすればなんとかなる。かもしれない。せめて文学部とかにはいれば良かったのだ。私はこのようにどこかへふらついていくたびに、コレがあれば何とかなるかもしれないと思えないでもないものを自分に買い与えて、無理矢理に国へ返しているのだ。

 

 

わたしは潘金蓮じゃない

わたしは潘金蓮じゃない

 

 

 

  これは本当に軽くて素敵だと私は思ってます。毎日使ってます。