いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

母に対するこわさ

 わたしはいつも母に対する時、空っ風のようにちらちらとしか接することができない。

 

 母はいつも、わたしの中の隠された恐怖を復活させ、愚かな孤独者としてのわたしを再来させる。あまり深く関われば、たちまち彼女の恐怖さえも共有することを強いられて、死にたくなるのだ。

 

 しかしわたしは決して恐れはしない。そのために母とはあまり話せない。