いのちばっかりさ

その金字塔/ 絶対自立(物語です)

最近のこと ロシア料理 無関心と復学

 中国語を使ってのバイトは、語学力の不足と、長時間シフトを望まない故に採用されなかった。残念だが、今働いている書店でも中国人のお客さんは居るし、接客中国語の勉強は無駄にならないだろう。また機会があれば応募したい。毎日中国語の勉強を少しでもしよう。

 

 最近、今まで我慢していた『亡命ロシア料理』という本を買った。

亡命ロシア料理

亡命ロシア料理

 

  Amazonでたまに「在庫あり」になっているのだが、そのたびに買うか買うまいか迷って、迷っているうちに売り切れになってしまう。Amazonにはあまり出品しない方針なのだろうか。「クレジットカードで買えば、引き落としは来月だし...なんとかなるだろう」という良い子は真似しちゃいけない心境でポチった。届くのが楽しみ。ちなみに出版社は未知谷未知谷のホームページは、ちゃんと刊行物の目次まで載っているところが嬉しい。Amazonも目次を載せるようにしてほしいものだ。

www.michitani.com

 最近までこの出版社をよく知らず、この前の神田古本まつりのときに未知谷のブースを見て「なんか面白そうな本があるなー!!!」と感動した。数冊買ったのだが、『亡命ロシア料理』を含む、当然わたしの好みからして買うべきだった本を、その時買わなかった。あの時買っておけば安かったのに。

 本年からは神田古本まつり予算を組んで、お財布に余裕を持たせておこうと決意した次第。

 

 そういえば、もうすぐ復学の申請を出さなければならない。大学に戻ることが苦痛でないと言えばウソになる。何しろ時間の自由が奪われるし、雑事に追われる。けれども大学に戻らずこのまま就職して、日雇いバイトで出会ったブラック企業のあんなこんな心の荒んだ人たちと、未来の見えない仕事を続けていくのは嫌だ。そもそもやはり大学の内容がどんなものであったにしても、大学に行けることは幸運だ。お金がかかるのに何も有意義なことができないと、嘆いていたが、ずるく言い換えれば、何も有意義なことをしなくても、お金を払うだけで時間が得られる。だから大学へ戻ろうと思う。お金が足りなければアルバイトすればいい。

 

 そもそもなぜ法学部に入ったのかということを書いておきたい。

 私は、自分の家庭が比較的めちゃくちゃだったために、そのせいで子ども時代まったく好きなことが出来ず、いつも暴力とか罵倒とか、そういうもののそばで生きていた。新しい生活を手にした後も、しばらく自分が何者なのか分からず、途方にくれ、荒んでいた。でも私は家庭を恨む気は全くなく、みんな精一杯生きていたけれど、結果的に何も上手く行かなかったのだから仕方ないと思っている。

 この前ちょっとそういうことを大学の相談員(カウンセラー)さんに話した。そうするとやっぱり、親を恨みますかと聞かれる。でも親は恨まない。どちらかと言えば、私の家庭がめちゃくちゃだったのを知っていたのに、世間では誰も助けようとしてくれなかったという気持ちの方が強い。親よりも社会に恨みがある。

 

 警察、学校、ご近所さん、みんな知っていたのに、誰も助けはしなかった。私はそれが法律の問題なのではないか、法律がちゃんとしていないから、誰も助けなかったのではないか、と高校卒業時に考えて、法学部進学を決意したのだ。そのとき私にとって、法律は敵だった。いつか自分の手で変えてやるもの、それが法律で、私は敵を知るために大学に進学した。非常な熱意を持って。

 

 非常な熱意を持って法律を勉強し始めたがために、変なところに深入りしたりもした。例えば入学当初から刑法の家族に関する部分についての論文をたくさん読んだりとか、まだ民法総論しかやっていないのに、3年生から始める民法の家族に関する部分の本を読んだりなど、完全に正規の法学部のプログラムから外れたやり方で勉強し始めた。たいして頭も良くないのに、そういう変なこともした。

 

 そのとき私は本当に「やっと自分のテーマについて取り組めるのだ。だってここは大学なんだもの。大学は自分の好きなことを勉強できるところだとみんな言っていたもの。」という気持ちだった。今思えば、阿呆である。

 

 「大学に行けば、自分の好きなことを勉強できる」とは確かに周囲の人がみんな言っていたことだった。それはでも、私が受け止めていたような意味ではなくて、せいぜい「高校までは自分にとって意味のないと感じられる科目も勉強しなければいけないけど、大学ではすきな科目だけ勉強できるよ。」というくらいの意味だったのだ。それを私は、「大学に行けば、雑事に妨害されずに、人生の最重要テーマについて追求できるよ。」という意味だと解釈していたのだ。こりゃあほんとの阿呆だ。

 人生の最重要テーマなら、大学に入るとか、就職するとか、そんな外的変化に影響されずにいつでも打ち込めばいいのだ。どこかへ行けば、雑事がなくなるとか、そんなことはありえない。どんな雑事があってても諦めないで追求し続けるから、人生の最重要テーマなのではないか。そして人生の最重要テーマであれば、大学に入ったらとか、そんなことを言っていないで、すぐに取っ組み始めればよいのだ。何才であっても、どれほど頭が悪くても、自分のために取り組むべきなのだ。

 

 私は法学部に入って、まあ結局は良かったと思っている。自分には触れることの出来ない社会の骨格だと思っていた法律に触れることが出来たし、法律というのはそんなにたいしたものじゃないと分かったから。

 たいしたものじゃないというのは、法律や制度は所詮使われなけれな意味がないということがわかったので、そう思ったのだ。その法律や制度の主旨を理解し、その趣旨を本当に実現させようという情熱を持った人たちが働かないと意味がない。とにかく「今日の仕事はミスなく終わらせとけばいいでしょ」というような仕事人が何人居たとしても、結局それでは世の中は良くならない。

 

 例えば本屋で、「董其昌という人の書の本なにかありますか?」という質問をしてきたお客さんが居るとする。その人の本はないので「置いてないです。申し訳ありません。入荷予定も今のところございません。」と伝えるのは楽だし、その書店員はミスない仕事をしたといえる。でも本当はもっといい対応が出来る。もしその書店員が「お客さんのために本を探す」という制度というか、仕事の本当の趣旨(お客さんに役立つ本を届ける)を理解して、本気でその趣旨を実現しようという気持ちを持っていれば、「当店にはございませんが、もしよろしければ、別の書店で扱っていないかお調べします」、「当店にはございませんが、ネットで調べたところ、近日この本が出版されるようです」とか、「当店にはございませんが、日本の古本屋というサイトで、近くの古本屋で扱っているかお調べします」とか、「近くの古書店に在庫があるようなので、電話して確認しましょうか」などのサービスが出来る。

 こういうちゃんとしたサービスをすれば、お客さんも「ネットショッピングじゃなくて店頭で買ってよかった。」と思うかもしれないし、紹介した先の書店ともつながりが出来て、お客はつくし、書店同士で情報共有が出来たり、お客さんを紹介し合ったりなど、世の中が良くなり、かつ仕事がしやすくなる可能性がある。

 

 結局はそういうことなのだ。制度や仕組みがあるだけではだめで、それを実現させる人たちが、心で戦わなければいけない。

 

 私は法学部に入って、家庭内のトラブルを解決するために様々な法律や制度や機関が設けられていることを知った。そして同じ法学部の学生や教授なのに、判例に載るような事件やトラブルを起こす人をどこか馬鹿にして「自分とは関係ない」とか「どうでもいい」と考えている人たちがとても多いことも知った。

giveus.hateblo.jp

 

 この「疑問」という記事を書いたのは、なぜ人はそう無関心になるのか、という「疑問」があったからだ。もし子どもの頃の私の周りに居る人たち、周りの世間が、本気で子どもを守ろう、頑張っているのに人を殴ってしまう人にこれ以上ひどいことをさせてはいけない、家庭内でのトラブルで人が傷つくことのないようにしよう!という心を持続させて仕事していたのなら、誰も傷つかなかったのではないか。もっとはやく事態は改善していたのではないか。

 

 私のこれからのテーマは、「人を無関心にさせないためにはどうすればいいか」、「なぜ人は無関心になるのか」、ということだ。

 

 暇つぶしにどうぞ

 →太宰治 トカトントン

 

 

 

 

 あとこれ気になる。

泣き虫弱虫諸葛孔明〈第1部〉 (文春文庫)

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