いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

次の一年のために① 人を信じる

 

  平和の国のメリークリスマス

  平和に感謝する。束の間だか、いつまでも続くんだかわからない静かさに対する放心と日常。


  クリスマスだが、親しい人が大怪我をしたので病院へ一緒に行ったりして、かなり忙しかった。いろいろなことをして疲れたので、家に帰ってきた。別にそのせいというわけではないが、今夜は一人でこの記事を書ける。

 

 もう年末である。だから来年を満足のいく一年にできるよう、これまでの自分を振り返って、悪いところを直していこうと思う。一番悪いところは「人を信じる力がない」というところである。

 

 十代の頃、信頼できる人には出会わなかった。私には人を信じる力がない。

 

 人を信じる力がない子どもがそのまま大人になって、また信頼できる人に出会わないで生きていると、すべてが信じられなくなってくる。私だけの話ではないだろう。たまには自分自身も信じられなくなる。本が読めなくなって休学したが、実は休学する前に、「自分は本が読めない振りをしているんじゃないか、甘えているんじゃないか。」と何度も自問自答した。診断が出て、気のせいとか読めないふりではないということが分かって心底安心した。しかし実はその診断でさえ疑っているというありさまなのである。

 

 このまま人を信じることができないと一体どうなるか、と私は考えた。すべてのものが疑わしい人は、自分だけで閉じこもって生きていくしかない。その上に、自分自身を疑い、肉を切り落とすように、自分を切り詰め、信じられることはなにもない、とか、信じられるのはお金だけとか、信じられるものはこの世ではないどこかにあるとか、考えるしかなくなるだろう。これは批判的であるとかの範疇を超えて、もはや堕落の一種である。

 

 世の中にはいくつか、あまりにも信頼できない人に出会ってしまう可能性がとても高い危険地帯がある。たとえば短期アルバイト、ひどい家庭、裏切りが常習化しているコミュニティーや、いつも他人をおとしめる人の居る集団、などなど。

 

 これからはそういった場所を避けるようにしたいと思う。そこに行けばお金が手に入るかもしれないと思っても、もっと普通の心で、平穏に、低い賃金でもいいから、常識的に信頼できる人たちの中で、堅実に稼げる場所に行こうと思う。

 

 恵まれた環境で育った人の方が、その後の人生においても成功するというようなことがよく言われている。これは真実かもしれない。または僻まじりの嘘かもしれない。しかし恵まれた環境で育った人が持っていて、そうでない人は持っていないものがあるとすれば、「人を信じる力」というのがその筆頭に来ると思う。人生で何か大きなことに取り組もうとするとき、自分の正解を広げたいと思うとき、誰か信頼できるひとを介してそれをする必要がある。

 

 体調が悪いときにはすぐに人に相談する必要があるし、身体の機能に異常があれば、専門家であるカウンセラーや医者や相談員に相談する必要がある。治療しようとすれば医者を信じる必要があるし、資格を取ろうとすれば攻略本に書いてあることや予備校で言われることを信じて従う必要がある。ものごとをある程度「なんとかする」ためには信じることが必要である。この世界で生きていくなら。

 

 とはいえいきなり人を信じる力を手に入れることはできない。これからは信頼できない人に遭遇する確率が多い場所は避けるようにし、かつ人の心について少し勉強することで、すこしずつ人を信じる力を手に入れたい。

 

 

 

 これは、ハッピーエンドとは言えないけど、人との関わりと対話の大事さを理解させてくれた本。友人間の手紙の形式で展開していく小説。いつでも部屋において読み返せるようにしている。友人同士であるとはどういうことか?

モンテ・フェルモの丘の家 (ちくま文庫)

モンテ・フェルモの丘の家 (ちくま文庫)

 

 

 

 

 "日本人は焦っていた。 1人ではなにもできず 集団になって発狂した"

--戦場のメリークリスマス