いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

私は自分の脳みそが疑わしい

 発達障害傾向があると診断されてからというもの、自分の考え方や感情がとかく疑わしい。勝手に偏った能力と偏った癖で思索と判断を繰り返しているのではないか?無意識に、苦しむ必要のない苦しみに苦しみ、楽観できない問題を楽観しているのではないか。私はできるだけ大勢で一緒に食事をして、いろいろな話をして、手加減なく私の偏りを訂正されたい。忌憚ない意見を受けて、ただしい通りを行きたい。

 

 

 この小説を読んだ。面白かったので一日で読んでしまった。この小説の感想を探すと、「感動しました」というような感想が多い。私は感動しなかったけど、面白かった。というか、納得できる展開だけで組まれていて、かつ読み進めたい気持ちが続く魅力があった。

 

 この小説の主人公は女性で、新人ケースワーカーである。ケースワーカーというのは何だろうと疑問に思ったが、調べたところ割と曖昧な定義しかないようである。

 小説中で主人公は支援していた精神病を患っている男性に心惹かれてしまい、しかしその一方で精神病の男性の主治医にも惹かれる。この小説の感想としては「純愛である」という感想が見受けられるが、私はこれを純愛と言っていいのかわからない。

 主人公がお金に困ったあと、結局男性の主治医と婚約してお金を援助してもらうという流れになる。なんとなく、これって純愛なのかな、と思ってしまった。正直、この金銭的危機さえなければ、小説の筋がこじれることもなかっただろう。お金の力と怖さと人間の弱さについてよく知っている人が書いているなと感じる。著者は精神科医なのだそうだ。純愛が主要なテーマというよりも、何が病気でなにが病気でないのか、誰が助けてくれて誰が助けてくれないのか、治療によって奪われるものとは一体なんなのか。そうまでして適合すべきである社会とは一体何か、生活せねばならないという焦りは人に何をさせるのか、といった難しいテーマについて、問いかけているのではないか。現代日本社会の全体小説的な感じでもある。ゆるい感じの全体小説。

 

 精神病の男性が、今まで自分と一緒にあった、幻聴を切り捨てて、現実の世界で生きると決断するとき、自分の人格やアイデンティティーさえも切り替えることを決める。それは一体どういうことなのか。そのあと何の希望を持って生きる見込みを持っていたのか。

 

 私は幻聴が聞こえるわけではないし、この男性と同じ病気でもない。しかし今まで自分が考えてきたことや悩んできたこと、疲れてきたこと、好きでいたこと、それを決めてきた一つ一つの判断や気持ちが、脳の普通でない部分によって作り出されてきたかもしれないということは、かなり大きな衝撃を与えうる。

 

 自分の「性格」とは一体なんだったのか?そんなことさえもよくわからなくなってくる。一体なんなのかと。

 

 と、ともかく、この小説はお金の話がなかったらもっと深みに行けたかもしれないけれど、お金の話があるから現実っぽかったといえる。終わり。