友人に会うために清水に行く機会があった。例えば三保の松原などで有名な場所だ。ここに東海大学海洋学部がある。友人宅がそのキャンパスから徒歩五分の場所にあるので、昼の授業に潜ってみた。
講義は砂浜の砂のことや、砂浜の保全、減災対策に関するものだった。三保半島の海岸の砂浜の砂は、安倍川から流れてくる砂が主であるとか、1970年代と比べると砂浜の浸食が進んでいるので砂を引き止めるためにどのような砂防を用いるのだとか、いままで聞いた事のない話を聞いた。この学部は三保半島にあり、学生に聞けば最寄り駅の清水駅までバスで片道330円もかかるため、半島の中に住んで、もっぱら半島から出ないらしい。ここの学生は本当に親切だった。
夜は友人と釣りをした。魚は釣れなかったが楽しかった。寒かったが、入り江の対岸に工場のオレンジの明かりが見える。友人は映画を撮るという。この場所は映画を撮るのにほんとにいい場所だと思う。富士山を背景に砂浜と海が迫る三保の松原にはじめ、霞のかかる車道までもが、ある種の幻みたいだ。景観のすばらしい所が多い。行き帰りの移動中、中国の小説家巴金の中編作品『憩園』を読んだ。
主人公は小説家で、友人の家に客(居候)としてとどまりながら、一つの小説を書き上げる。小説家が周囲の小事件や人々の意見や生き方に触れて、執筆中の小説の結末を苦心して選び取るところは本当によいと思う。この本が絶版になっているのは本当に惜しい。この小説のようなのを全体小説と言っていうのだろうか。私は区分の仕方がよくわからないが、ドストエフスキーの『罪と罰』のようなのを全体小説というのなら、巴金の『憩園』も全体小説と言っていいのではないかな。そういう内容の小説だ。
ここまで書いていて気になってきたのだが、そもそも全体小説というのは何なのだろうか。どういう要素を備えていれば全体小説と言えるのだろう。少し調べてみたが分かったことはわずかで、理解できたとは言えない。もう少し色々読まないと分からないですね。そのうちに書きます。
ちなみに巴金の『憩園』は、絶版になっている上に、レビューも少ない。巴金の作品を自分で読んで行きたいと思っても、日本で出版されて絶版になっていない巴金の作品はおそらく『家』だけである。お金を出せばほかのものも買えるかもしれないが、お金ないので図書館へ行くしかないであろうか。『家』も読んだ事があるが、『憩園』が本当に味わい深く好きな作品だと思いました。こんな風に落ち着いて読めて、かつ心から哀惜の念を持って人間を扱っている小説がこれからも生まれたらよいなと思います。
- 作者: ドストエフスキー,Fyodor Mikhailovich Dostoevskii,江川卓
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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以下のような本もあるようです。
三島由紀夫『豊饒の海』VS野間宏『青年の環』―戦後文学と全体小説 (新典社選書 76)
- 作者: 井上隆史
- 出版社/メーカー: 新典社
- 発売日: 2015/11/09
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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