いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

予習を始めた

 新しい学期に向けて予習を始めた。一体就職活動はどんな風に忙しくなっていくのか、予想もつかない。頑張ろう。また同じ本を最初から勉強するんだ。全然読めないけどな!やるしかないでしょ。た・く・ま・し・く。 

 

 

新会社法エッセンス 第4版補正版

新会社法エッセンス 第4版補正版

 

 

東京で生活

 夜行列車ムーンライト信州で白馬へ行った日に、取って返し山梨方面へ。だんなの家に泊めてもらった。信濃大町で買った蜂蜜を携えて行ったが、それ以上のものをご馳走になったので「またお世話になってしまった」というやつ。このブログで彼氏のことは「だんな」と呼ぶことにした。なんとなくだんなってかんじの風体だし。「彼氏」というような弱っちい感じではないのでね。

 

 世間には恋人とか夫のことを「相手」とか呼ぶ人もいるけど、なんかあんまり好きじゃない。

 

 そのだんなと東京で一緒に暮らすとすればいくら稼ぐべきかという話をした。なぜかわたしは爆睡していたので頭がいたい。せっかく久しぶりにあったのに寝ていたとは。笑

 

 なんとか卒業して就職しないと安心して次に進めないのだよ。

 

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私にとって成功する就職とは

  私にとって成功とはなんだろうかと考える。今食品メーカーの説明会に行っているのだが、その製品の業界一位のところ(例えばパンは山崎製パン、即席麺は日清)しか、海外進出に意欲的でないという印象だ。

 

 これは私にとってはとても辛い。なぜなら私は浪人休学留年しており、単位もたくさん残っており、実は(このブログでは隠してないが就活では、実際に仕事する上でそれほど困ることもないと思うので話していない)横書きの文章が読めないという障害もある。読めないことは話していないが、それを話さなくても私の経歴には何か疑問な点があるだろうし、だから何かと業界トップの企業には入れない可能性が高い。

 

 だけど私はずっと自分は海外へ行けるものだと思って生きてきた。それは日本をとても小さな国だと思っているから。それはなぜかといえば両親は世界で働くひとだったからである。

 

 けど私を見ていただければわかるように、両親とはちがう。両親とは教育にかけられたお金の量も、家庭環境も違う。身体的な体力もちがう。

 

 なぜ自分も当然のように世界に出て働けると思えるのか。就活を始めて、多くの人が世界を見ないで、国内だけを考えて働いて、それでも会社を何十年何百年と続けてきて、さらに今も安定して働き続けている様子を目の当たりにした。

 

 説明会に参加して自己紹介しただけで選考に落とされた経験からして、私の行動はやはり普通ではない。人間として普通のことをしているとしても、20代の女性としては普通ではない。

 

 このような人間になってしまって、本当にかなり困った。どうするべきなのか。

 

 それと同時に私と両親は違うということがよくわかってきた。私は何一つ両親と同じようには進めなかったし、いつも人より遅い。一人なら死にたいと思うところだが、私は付き合っている彼氏を幸せにしたいのだ。どうしても私も幸せに暮らさねばならない。

 

 

 私は就職できたところで、つまらないミスを繰り返し、出世なんてできないだろう。これは努力で解消できるものもあるが、どうしてもできない部分がほとんどだ。

 

 もう本当にくたびれちゃうな、という感じ。こんなときどうするべきだろうか。

 

 私は自分が価値ある人間だと信じたいがために、海外で働けるといいたいのだが、私が主張すべき、装うべきなのはその価値なのだろうか。

 

 私は長い間装った価値に基づいて生きてきたために、自分の本当のフィールドを見失っているのかもしれない。

 

 どんな企業に入ったら幸せになれるのだろうか。

 

 結論はおそらくどんな企業に入っても幸せにもなれるし不幸にもなれる。私が思い描いた夢はどうなるのか?それはかき消すこともできれば抱きしめることもできる。

 

 気づいたことがあってそれは、私がもう少しゆっくり寝たいということ。

マジで辛いこと

 マジで辛いことといえば、

 単位がギリギリなこと、スケジュールが管理しきれているかいつも不安なこと、何かいつもうまくできないと感じていること、就活で同じくらいの年齢や私より若いひとたちが完璧にメイクをして、完璧にスーツを着こなしていて、私は練習と思って受けた会社で、よくわからないところで選考に落とされていること。

 

 予定を入れすぎてしまい、後でキャンセルしなければいけないこと。

 

 あー、別に落ち込まないけどマジで辛い。

買い物

 

 掃除用 プラスチック製の物はあまり好きじゃないのでトタンにする。ぞうきんがけに嵌った。

尾上製作所(萬年) 日本製トタン バケツ 特2号

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フランクリン自伝

訳者は鶴見俊輔鶴見俊輔という人が、余良く知らなかったが2015年に亡くなっていたということが分かって、生きている人の本を読みたいなと思った。誰の本を読んだらいいのだろうね。

フランクリン自伝(新装版)

フランクリン自伝(新装版)

 

 

隣の席の子供が「くれ!」と言ったら母親が飲み物を与え、席に座らせ、パウンドケーキを食べさせた。

 電車に乗って席に座っていたら、とにかく自分が疲れていて、かつ腹減りに陥っているということがわかった。

 

 隣には小学生くらいの女の子が座っていて、可愛いお母さん(かつてかなり美人であったろう感じ)はその前に立っていた。このお母さんは子供に従属しているような感じで、子供が「くれ!」と言ったら「ああ、ごめんね」と言って飲み物と、細いケーキをあげていた。

 

 私は案外、他人に世話されている方が餌を与えられて貪っている獣みたいに見えるということを知った。

 

 私は表情を作れなくなっており、ひたすら無表情のまま座っているしかなかった。昨日風呂にゆっくり浸かりすぎたせいかもしれない。就職してからこのままではまずい。昨日まではニコニコしていたのに今日は完全なる無表情という人間がある人なりのデスクにいたら怖すぎる。

 

 ベルリッツに受講相談にいってみた。無料の体験講座を楽しむのは私の趣味であるが、今度は結構受講するかもしれない気でいってみた。

 

 ベルリッツの英語は、まずとっても高い。マンツーマンを売りにしているが、マンツーマンなんか受けられたものではない。

 

 私はビジネス英語なんか習ったことがないから、ビジネス英語なんかできようはずもないが、英語の面接対策をしたい。

 

 英語の面接対策とは何かというと、個人の意見だが、ビジネスライクな型で聞かれたことに対して、ビジネスライクな型の言い方で、言いたいことを答えられればいい。だから別にマンツーマンでなくてもいい。

 

 グループレッスンだと2ヶ月で20万円くらいらしい。高い。普通に働いてる社会人でも無理な額だ。だが結局体験するのは無料である。

 

 あまりにも高すぎるから私のように無料体験を渡り歩く人が現れるのである。

 

 ベルリッツの説明してくれたおばさんはマンツーマン以外のプランをとりたいというか体験したいというとめちゃ失望していた。そうかーという感じ。私の方も無表情で申し訳なかったが、本当に表情を作れなかったのだ。申し訳ない。たまにニコッとしてみるも、ますます変な感じになり申し訳なかった。

 

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 この前をいくひとのタイツいかしてた。

静けさ

 1人で家にいて、私以外はこの家に今日はもう誰も帰ってこないし入ってこないという夜。私は部屋を掃除する気になり、古くて使わなくなった布団を捨て、カーテンを洗い、雑巾を用意した。

 

 今日は静かな日だ。

 

 私は入浴剤を買った。

 私の暮らしを人並みにするティッシュペーパーやファンデーションのようなものも買った。

 

 いきなり私は生活を始めるかのようだ。このまままともになれそうである。

 

 母からたまにメールが来るが、彼女は島に遊びにいっているので、ソーキそばの写真とか海の写真とかを送ってくるだけだ。「いいね」とか「楽しんで」というだけだ。

 

 島の人と飲み屋で飲んでいます、という写真を送ってくるので見て見たが、母だけ明らかに浮いている。馴染めていない。母が北海道や沖縄や、アジアをたのしむやり方は私とは違う。私は母のやり方に心がごわついている。

 

 きっと母は馴染みにくい人なのだ。私はそうなりたくないと思う。どんなところでも、そこへ行きさえすれば、前からずっとそこにいたかのように扱われたい。

 

 喘息が再発したので、朝起きづらい。部屋を掃除したのはそのためもある。

 

 静かな場所があると、私は自分の生活を立て直すことができそうだ。父は音に敏感すぎるところがあったが、それは私にも遺伝しているようだ。

 

 そろそろ通院を再開しようかという気にもなって来た。

 

 静かだと物事を最後までやることができる。この気分を騒がしい時にも引っ張り出してこれればいいな。

どう考えても奇妙

 どう考えても奇妙だ。同じ年の人たちと一緒に行動していると、どう考えても私は彼らの中で1番疲れており、すぐ風邪をひき、ひ弱であるということがわかる。いかにも奇妙だ。

 

 これで血液検査にはなにも問題がないとは奇妙だ。脳の三分の一が腫瘍に覆われてでもいるのだろうか。