いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

海に関すること

 私は海が好きで、見ているだけでもいい。

 海について、それなのに、ほとんど何も知らないでいる。海について探求していくことを生活の一部にしたい。

 

 

  この本かしてもらった。海の話ではない。

消費社会の神話と構造 新装版

消費社会の神話と構造 新装版

 

 

 

Kの死 と題されたもの(本に挟まれていたもの)

K氏の死

 

 

 ミモザの花には似合わないのに

 ミモザの季節

 大きな身体をむだにして

 Kが死んだ

 生前のKの記憶力の緻密であることは

 うろこの光も記憶する

 あまりにもうるさい春の場面を記憶することから逃げるよに

 Kは黄色にまみれて咳き込み

 ちょうど雨に打たれたいきおい

 春の中で死んでいく

 

 誰のために多くの記憶をもっていて

 苦々しく笑っていたか

 我々が初めて彼の家に行ったのは

 どうしてちょうど誕生日より二日遅かったのか

 あれは誕生日の招待の手紙をあげたのが

 きっかけだったのに

 

 君なら

 それを事細かにおぼえているだろう

 いまに君の皮膚の感触が永遠に失われる

 すでに焼かれた身体のことも忘れてしまい

 「皮膚の感触」

 と口の中で思い続けている

 「失われる」

 と身構えている

 すでに春が過ぎ夏が終わった

 

 Kの記憶をなんの話題にすることもなく

 苦々しく笑っていたけど

 きっとそのとき何かを言えば

 君は一部の記憶を渡して

 あと一年生きれただろうか

 Kよ

 

 解決のつかないいくつもの写真が残された

 この写真が誕生日の二日後に撮られたのはなぜだ

 もうそれを思い出せる人は居ない

 お互い苦しい笑いの域を出ないで

 お互いを誰と知ることも十分でなかった。

 いまや夏の中でふたたび誕生日が来る

 あしたに投射するKは

 どんどん解釈にまみれていき

 この写真のことも

 最後には救済の解釈にうちのめされ

 梅雨の中で思い出されなくなるだろう

 

 

 

なんだか静かな朝(自分のことについては語らないでいいか)

 お久しぶりです。

 大学生を続けている。そして学習相談という名のカウンセリングには通わなくなった。忙しくなったら、自分について話をすることが億劫になるのだ。日々生きていると、変に嫌な気持ちになったりすることがある。そういうときに、発達障害だの、普通と違うだのと言われたら、普通にほんとに打ちひしがれてしまう。だから、カウンセリングは放棄した、というか、挫折した、というか。もちろんそれについて思うことはたくさんある。

 

 大学の勉強はきつい。横書きの日本語が読めないので、ほぼ法学部の読書はできないと言っても過言ではない。最近の法学の本はほとんど横書きだ。古い本を読むような研究者ではないし、新しい本を読むことを求められている。気がつけば近所の書店へ行って、縦書きの文庫本とか新書を買い求めている。それを読んでいると安心する。自分にも本を理解する力があるということを思い出す。気力回復すると法学の本をまた読む。別に卑屈になったりはしない。

 

 将来は世界で一番の何かを作りたい。誰に対しても後ろめたいところなく、本当に一番すばらしい何かを。私は海が好きだ。その夢を海とともにかなえられたら幸せに思う。誠実な仕事をしたい。

 

 ブログをしばらく書かなかったが、ブログを書くことが懐かしくなった。出来るだけ毎日、短くても買いていこうと思う。

 

 

 以下は最近手に取った本。(読書はすてきな休憩)

桃源郷とユートピア―陶淵明の文学

桃源郷とユートピア―陶淵明の文学

 

  『桃源郷ユートピア陶淵明の文学』

 ただ桃源郷ってなんなんだと、挫折を味わったときに気になって手に取った本。読んでるところ。

魚の文化史 (講談社学術文庫)

魚の文化史 (講談社学術文庫)

 

  『魚の文化史』

 日本では、魚って今までどんな風に扱われてきたのか。うーん、ほんとかなあと思う節もあるが、面白い。魚に興味がないと読むのがだるいと思われる。

雪国 (新潮文庫 (か-1-1))

雪国 (新潮文庫 (か-1-1))

 

 『雪国』

 ぼーっとしながら読む。日本語ならではの表現あり。  

カラー新書 中国茶図鑑 (文春新書)

カラー新書 中国茶図鑑 (文春新書)

 

  『中国茶図鑑』

 カラー写真付きで、中国茶葉について解説している。中国のお茶専門店に関するコラム等も面白い。産地も書いてある。

常用字解 第二版

常用字解 第二版

 

  『常用字解』

 眠れないときにちょっとずつ読む。漢字の成り立ち。編集がきれいで、見やすい。どうして漢字がその形になったのか分かる。

徒然草 (ちくま学芸文庫)

徒然草 (ちくま学芸文庫)

 

 『徒然草

 読んでいるところ。読みやすい現代訳。能をやっている友達から勧められた。 

 

 『中国の吉祥文化と道教ー祝祭から知る中国民衆の心ー』 

 吉祥(縁起が良い、めでたいとされているもの)に関する中国の文化について調べようと思って読んだ本。吉祥に対する中国人の感覚について、ほんとかなあ?と思うほどきっぱりした記述がある。やっぱりほんとうかなあ?と思ってしまうけど、面白い本。吉祥文化について書かれた本は意外と少ないので読みやすい本は貴重だなあと思う。

 

ではまた。

 

 

 

中国の労働法関連の文章を逐語訳して読んでいく講義

 新学期になって今まで履修したことのない外国書購読の講義を取った。中国語で書かれた、中国労働法関係の文章を逐語訳して、講師に対して質問しながら読み進める講義だ。なんと履修者はたった二人。私とあと一人だけだ。なんと贅沢なことか。この調子に慣れてしまうと、集団講義は面倒で得るところも少なく、行く気がなくなる。

 

 読むのは『中国工人』(たぶんこれ)に発表され、中国人民大学によってまとめられた文集『工会工作 2015.4』に収録された文章である。

 

 『中国工人』という雑誌の記者が中華全国総工会の書記である郭軍という人物を訪問し、労働法や、労働者の権利保全の現状について質問し、郭軍がそれに答えているという内容。

 

 話し言葉をまとめたものだということもあるのかもしれないが、なんだか比喩表現が多く、「さっぱりはっきり言ったらいいのに」と郭軍さんに文句を言ってしまいそうだ。とにかく何か翻訳して先生に逐一見てもらうのは初めてなので、うれしいし緊張している。

 

 教科書を読んでいるような、私語の多い集団講義なんかやめて、学生が独自に組織する勉強会がもっと増えればいい。そして先生もそこに来た方がいい。

大陸中国に留学したい

 大陸中国に留学したいのだが、私の大学で紹介している夏期短期留学のプログラムは台湾のものだけで、大陸のものがない。どういうことなのだろうと不満に思う。頑張ってバイトで貯めたお金を使おうと思っているのに。そもそも大学が大陸中国より台湾に学生を行かせたいというのは解せぬ。大陸中国の方がよっぽど人口も多いし、経済的な影響力も強いのに。

 

 確かに台湾の山や海には興味がある。しかし私の周りの人の話では、台湾に残っている企業はローカル企業だけで、世界規模の企業はほとんどないとのことだ。本当かどうかは分からないが、私は大陸中国を見て中国に行きたいと思ったのであり、台湾に行きたいわけではないし、親日の国と言われる台湾へ行って文化を満喫したいわけでもない。奇妙な感じである。大陸中国で通用する中国語を勉強して、最初の就職をアジアに繋がったものとしたい。

 

 それに大学が紹介している講座は、文化講座とか文化体験や集団旅行なるものが組み込まれていて、もっとがっつり語学を勉強し、外国語を読みこなせるようになりたいのに、なんだか煩雑である。

 

 前に中国語を習った先生に、どうすればよいか質問しようと思う。なんだか、学士の学位を取るために大学に居るということがだるい。

 

世界で一番の会社を作る

 私は自分の将来の目標を決めた。それは「世界で一番の会社を作る」こと。世界で一番の会社は、世界ですべてにおいて一番良くないと。そんな会社を作るために何が必要か、考え始めた。

 

 その存在そのものが人を生きやすくさせ、世の中を明るくするような会社をつくる。私は海が好きだから、海に関する仕事をするかなと思う。

さて今日は憂鬱

 ここのところ憂鬱がひどい。何をきっかけに憂鬱になるのかわからないが、時間帯等関係なく、突然ぐったりしはじめる。指を動かすのもだるい。大学の周辺では心休まるときがない。どこへ行ってもうるさく、人が多く、今日を楽しく生きることに一生懸命な人たちばかりだ、ぐったりしたときに休息するところさえない。図書館に行けば閉塞感が酷く、窓を開けると周囲に迷惑そうな顔をされる。外で休むにはどうにも寒くてやりきれない。

 

 都電荒川線に乗って人気のない駅に行くしかない。そして私は講義を欠席してしまう。閉塞感が酷い。大学から一時間半かけて帰宅するのも大変だ。復学する際にゼミをやめた。

 

 何を怖じ気づくことがあるだろう。人生は短く、(本当は短いのかわからない。いやむしろ短いのか長いのかも分からないところが問題なのだ。人間の寿命はみんなそれぞれ違う。)失うものは何もない。こんなところは出て行って、本当になんでもやってみればよいのだ。この世界で上手くお金をかせいだら、もっと上手くお金を使いたい。自分の試みをすべて試したい。すべての人間、すべての幸福、すべての出来事をこの目で見てみたい。

 

 今後二十年間は、絶対に小さく収まることは考えないことにしよう。親戚に馬鹿にされ、友達にやっちまったなと思われようとも、いいではないか。強くなりたい。いつでも強くなりたいと思ってばかりだ。書を捨てて街に出よと、自分に言い聞かせている。人間が怖くて、私はたじろいでいる。

 

 

塩の道 (講談社学術文庫)

塩の道 (講談社学術文庫)

 

 

 

その間

 4月1日をもって大学に復学した。結局のところ、五年生までやらなければならないだろう。それについては耐え難い苦痛を感じる。私はこの生温い場所から出て行かなければならない。昨日久しぶりに大学へ行って強く感じた。ここにはなんの挑戦もない。だれもが惰性で教え、仕事をこなし、反対側から学生も単位を取るために本を読んでいるだけだ。人生は、こんなものだろうか。

 

 ブログを書かない間に、父が突然死に、私は自分も父くらいの歳までしか生きないかもしれないと、もしくは明日突然死ぬかもしれないと、それを非常に身近な可能性として感じた。私は人生を、こんな風に行きていていいのだろうか。私は大学に居ることで、今まで私になかった何かを得ることが出来るだろうか。出来ないと感じる。私はこんなふうに人が多いだけの場所で食べ物を消費し、何かを生み出すことも出来ず、ひたすら安定した仕事に就くことを目標にすることなんて出来ない。なぜなら、私には失うものがない。私は本当は失うものがないにも関わらず、何かを失うのが怖い振りをして、この人生を濁らせているのではないか。

 

 あたしは大学に居るべきなのかもしれない。しかし「べき」とはなんだ?皆どうせ死ぬのに。私は正しい生き方がわからない。どんな生き方をすることになっても、それを良いとするか悪いとするかは評価に過ぎない。その評価は人生そのものではない。人生は、人生によって変化していく、この私の人格の中にある。この私のこの人格のためにある。

 

 

Twitterアカウントを作ったらブログがおろそかに

 ツイッターアカウントを作ったら、あまりブログを更新したくなくなった。よく考えてみればTwitterなんてやりたくはなかったのかもしれない。ただちょっと色んな情報を見てみたかったから作った。

 先週はバイト先の人について色々くわしくなった。バイト先の人たちはもう何年も一緒に働いているようなのに、4か月くらい前に入った私と同じくらいお互いのことを知らない。一体なんなのだろう。彼らがお互いについて知っていることと言えば、「私より前からここにいる」とか、「煙草を吸う」とかそんなことばかりだ。不思議なものだ。なんか不自由することとかないのだろうか。そういうわけで、何か知りたければ本人から聞くしかない。

 

 何か分からないけど、ここ一週間、とても怖い夢を見て朝方に起きることが多く、やたらと海が見たい。きのうは夜に夏目漱石の『行人』を読んだら、面白くて、奥歯に何か挟まったような腑に落ちない日常の部分が実によく書き込まれている気がした。半分くらいまで一気に読んだら朝の4時になった。

 

行人 (岩波文庫)

行人 (岩波文庫)

 

 

 新潮文庫等で買った方が安いのだろうが、字体がすきなので岩波文庫で買ってしまう。本屋でぱらぱらと見たところ、岩波文庫の『坑夫』が収録されている巻には挿絵が含まれていた。

 

坑夫 (岩波文庫)

坑夫 (岩波文庫)

 

 

 夏目漱石は今でも大した人気のようだ。新しい本も出ている。

 

姜尚中と読む 夏目漱石 (岩波ジュニア新書)

姜尚中と読む 夏目漱石 (岩波ジュニア新書)

 
世界から読む漱石『こころ』 (アジア遊学 194)

世界から読む漱石『こころ』 (アジア遊学 194)

 

  『行人』というのはなんと読むんだろうとずっと思ってきたので、調べたところ「こうじん」と読むみたい。この小説は今まで読んだことがあったはずだけれど、完全に忘れた。なんでこんなに今更に漱石がすきなんだろう。半分しか読んでいないが、この小説では兄がある意味困ったお方で、でも兄に対して読者である私は、同情とか顰蹙とか、どれか一つの感情で対することが出来ない。色んな感情を感じながら読み進めていく。そして目線はずっと弟である主人公のものなのだが、その弟の少し麻痺したみたいな感じが現代人の私のテンションに馴染んでいる。

なにやらなにやら

 NHK中国語講座(ラジオ)をききはじめた。春学期の履修計画をたてはじめた。パスポートを申請した。なんだかやる気が出ない。やっていることは意識高いかんじだが、気持ち的には流れるように呼吸中。なんだろうか。なにやらなにやら。気付けば一週間以上更新しなかった。見ていて下さった方々、失礼いたしました。

 

 発信しないでいると、受け身になっているときがある。そういうときは旅行者のように、変なことに関心したり、傍観者ならではの気楽さと散漫さを持っていたり。

言語学入門

言語学入門

 

 この本買いました。

 

裁判官の書架

裁判官の書架

 

 この本も

中古で安かったので嬉しいです。